法話へ

平成21年11月16日から

お経を読むことと、学ぶこと
  はい、長念寺テレホン法話です。
 「仏事のときにお経を聞くのはとてもつらい、何をいっているのかわからないから、
 時間がとても長く感じられる」との意見をよく聞きます。かといって、意訳のお勤め
 をいたしますと、「お経らしくなくて、ありがたくない」と言われてしまいます。
 長年の経験から感じていることは、大方の希望を総合しますと「難しいお経をありが
 たく唱えてもらうのが一番良い」ということになると思われます。
 読経をする場合、漢文のお経を頭から音を追っていくだけですから意味を理解する
 ことはとても困難です。しかし読経にはとても大事な意味があります。経文に親しむ
 ことができるのです。習慣としていつしか身についているお経のことば、あるとき
 ことばの意味を知り感動することがあります。それがいつもお勤めしているお経の中
 にあることばであったことを知るとその感動もひとしおです。
 お経はもともと意味のあることばです。理解しながら読むのが望ましいと思うと、
 「仏事のときにお経を聞くのはとてもつらい、何をいっているのかわからないから、
 時間がとても長く感じられる」ということばにうなずくことができます。
 しかし、私たち仏教徒は、お経を読むことと、お経の意味を学ぶことを分けて実行
 してきました。それは、仏教がもともと外国のことばを持って伝えられてきたという
 歴史があるからなのかもしれません。そのような歴史が、一般に「難しいお経をあり
 がたく唱えてもらうのが一番良い」という感覚を受け伝えてきたのではないでしょうか。
 私は、お経はその意味を理解する前に、とにかく声に出して読むことが大切だと思いま
 す。意味を理解するのは後でよろしいのです。お経は聞くだけではなく一緒にお勤め
 することが望ましいのです。
 鎌倉時代、法然上人のもとへ人々が群参したその理由は、法然上人の説法の魅力が一番
 ですが、もう一つにはお勤めがとても美しかったからだといわれています。六時礼讃と
 いい、善導大師が著された『往生礼讃』に美しい節をつけて勤めあげるという読経の
 すがたに多くの人々が感動し、声の美しい僧侶にはファンが集まったという伝説が
 あります。
 長念寺でも、報恩講のとき、12月4日午後5時から、『往生礼讃』のうち「初夜礼讃」
 をお勤めする予定でいます。ぜひその時間にもご参拝くださいますようお願い申し
 上げます。
 次の法話テープの交換は12月1日です。