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平成25年 1月 1日~

改修事業が始まる
 はい、長念寺テレホン法話です。
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
 永年の懸案でありました長念寺の平成大改修事業が始まります。協議に協議
を重ねた上で決定された計画です。心苦しいことではありますが、門信徒のみ
なさまには、少なからずご協力をお願いすることとなります。200年に一度
の大事業、気持ちを引き締めての一年目となります。よろしくお願い申し上げ
ます。
 長念寺の本堂は、現在の本堂が三代目です。
 最初の建物についての記録はありませんが、開基は大永2年(1522)と
いわれています。
 二代目の本堂は、江戸幕府の旗本で徳川家光の側近であった中根壱岐守の庇
護を受けて慶安年間(1650年頃)に建てられたものです。中根家は、三河
の一向一揆で一揆側にくみし閉門蟄居になった経歴を持っています。長念寺は
熱心な門徒であった奥方の帰依を得たとのことです。当時は、その中根家の縁
で長念寺は東本願寺に帰属しています。
 しかし、ご門徒方は全面的にそれを歓迎したのではなかったようです。ご門
徒の中には、大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方の加勢に馳せ参じた者もいたとのこ
と、半世紀を待たずに中根家と縁を切り西本願寺に帰参します。ご門徒にとり
ましては、長念寺は、中根家のものではなく我々の聞法の道場であるとの意識
が強くあったのです。当時の言い伝えに、西本願寺帰参の事実を知った中根家
は非常に怒り、寄進した宝物をことごとく持ち去り、長念寺と中根家の縁はこ
の時に断絶したとのことです。しかし当時のご門徒の意識は高く、それから時
を経ず、2年後には庶民の力で鐘楼を建立します。
 江戸後期、文政年間に現在の本堂が建立されます。門徒の総力により建てら
れた本堂です。当時の庶民文化の結集されたものがこの本堂であり、庫裏であ
り、その20数年後に建てられた山門です。私たちの先祖はすばらしい遺産を
残してくださいました。平成2年には本堂・庫裏と山門が川崎市の重要歴史記
念物に指定されます。
 この度の事業は、指定文化財である本堂と庫裏の保存修理工事と庫裏客殿の
新築工事となります。事業完了には5年ぐらいはかかると思われます。現代に
生きる私たちも、時代に即応した聞法の道場として後世に誇れるものを是非と
も形作っていきたいものであります。
 長念寺の今後の動きに是非とも強い関心を持っていただきたいと思います。
次の法話テープの交換は、1月16日です。