5.阿部首相の靖国神社参拝
 
 はい、長念寺テレホン法話です。
 年末に阿部首相が、靖国神社を参拝してから、この参拝の是非についてマスコミ等で喧しく取り上げられています。しかし、世間の風潮が、中国や韓国が首相の参拝に、神経質に反応することから外交問題として捉える傾向が強く、阿部首相の姿勢にシンパシーを感じている人が多いことに私は不安を感じています。
 私たちは、靖国神社の過去と現在をしっかりと認識しておくことが肝心だと思います。 先の大戦が終わるまで、靖国神社は、「国」それも「軍」の施設でした。戦死した兵士を英霊として祀り顕彰して国民の戦意の高揚を図る施設として機能していたのです。
 そもそも、このような施設ができたのは明治のはじめまで遡ります。明治政府になり、徴兵制度が布かれ、国の命により誰もが戦地に赴かなければならなくなりました。西南の役で多くの兵士が亡くなります。江戸時代の武家ならば、戦争でいのちを落とすのは武家の定めとの覚悟はある程度できていたのですが、そうではない一般市民の遺族の悲嘆に政府は答えなければならなくなります。そこで生れたのが招魂社です。死者の鎮魂慰霊を国が始めるのです。「鎮魂」という言葉に象徴されますように、非業の死を遂げた戦死者が悪霊として触りにならないようにとの国の意図も込められています。もちろん敵である賊軍の戦死者は祀られません。
 その招魂社が発展して靖国神社となります。日清日露戦争勝利の高揚の中、いわば国家宗教の聖地となって行きます。ただし、そのかげに多くの悲嘆が沈潜していることに、私たちは目を向けなければならないと思います。夫や子どもを失った事実は、決して消えないことを。靖国神社という名を聞くだけで、切ない思いに苛まれた人々が日本中どこにもいたのです。そして「靖国の母」としてじっと口をつぐんでいなければなりませんでした。もちろん信教の自由も全く無視されます。
 終戦後、靖国神社は、国の施設ではなくなり一宗教法人として活動する道を選びました。靖国神社が、極東裁判で裁かれた戦犯を合祀したのは、宗教法人靖国神社の意志でなさったことですから、国も私たちも否定することはできません。信教の自由を保証する憲法の元で、靖国神社のあり方に第三者が干渉することはできないのです。
 戦後、靖国神社を国家護持しようとする動きもありましたが、憲法の政教分離の原則の元それはできませんでした。8月15日の国が実施している戦没者慰霊式が、武道館で実施されているのもその理由です。
 このように、靖国神社は、国が大きく関与した歴史を持つ神社です。靖国教信者の阿部さん個人が私人として参拝するのは自由というのでは筋が通りません。阿部さんは日本国総理大臣という絶大な権力を持った公人であるのです。首相の靖国神社参拝問題は、外交問題である前に、憲法違反の論議を孕んだ国内問題であるのです。
 次の法話テープの交換は、2月1日です。