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8月1日から

つながりをもつ「いのち」
はい、長念寺テレホン法話です。
 「お盆」は、先祖を偲ぶ大切な年中行事のひとつです。先祖といいますと、
私たちは家系という考えのもとに私のルーツをもとめるという方向で意識
 することが多いと思います。しかし、いのちそのもののつながりという
 角度から考えることも大切なことと思います。
 いのちが連綿とつながっていること、それは一本の糸のような細いつなが
 りではありません。少し過去にさかのぼるだけで広大ないのちのつながり
 の中に今の私があることが判ります。遡れば遡るほど、それこそ天文学的
 な広がりの中に私がいることが確認できます。子どもたちとそのことを話
 しますと、驚きの表情をもって強い興味を示してくれます。
 「偲ぶ」とか「思いやる」というこころは、人にしか存在しない心です。
 犬や猫が親や先祖を偲んでいるという話は聞いたことがありません。
 最近、殺伐とした事件が続いています。それぞれの事件でいろいろな報道
 がなされていますが、そこから明らかになる共通点は、凶悪事件を引き起
 こした犯人が強い孤独感を持っていたことと、犯人のいのちに対する視点
 がごく狭いところで自己完結してしまっていることです。
 事件を起こした犯人たちを弁護する思いは毛頭ないのですが、現代の私た
 ちの社会は、犯人が持つ思いと同じ方向へ進んでいるような気がしてなり
 ません。
 個人情報保護の過剰な動きは、個々の人間関係をますます希薄化させてい
 ます。共同体の信頼関係を崩壊させ、ネット社会では、匿名性を利用した
 あらゆる種類の暴力が放置されています。ところが、それより前に、私た
 ちは人とのつながりから生ずる煩わしさから逃れようと、いつの間にか多
 くの関係を切り捨ててきたのではないでしょうか。
 現代人が好んで使う「いやし」という言葉は、いつの間にか一時的に煩わ
 しさから離れることができ、自分だけが心地よい時間を過ごすという意味
 になってしまいました。『広辞苑』によると「いやし」の意味は、
 「病気や傷をなおす。飢えや心の悩みを解消する」となっています。
 本来の「いやし」の意味は、苦しみの原因を取り除いて解決するという
 ことなのです。しかし、最近使われている「いやし」は、現実を逃避して
 自己満足できる状況を指しているようです。周囲との関係より個が重視
 されます。
 誰もがつながりをもつ「いのち」であるからこそ尊いのであり、その
 ことに気づく時、多くの感動が生れてくるのであると思います。感謝
 の心も思いやりの心も、お互いがつながりのある「いのち」であることを
 実感できるからこそ生ずる思いであります。
 お盆という行事を通じて、そのことをふり返ることのできる私たちは幸せ
 です。
 次の法話テープの交換は8月16日です。