いつの頃から浄土真宗に帰属したかはさだかではないが、
1613年(慶長18年)には、東本願寺より木像御本尊の御免を
いただき正式に東本願寺の末に入る。因みに、東本願寺が独
立したのは1602年のことである。東本願寺に帰属した理由は、
                                                         しゅう
徳川家光に仕えて活躍した中根壱岐守平十郎正朝の母堂、秀
げつぜんに
月禅尼の厚い帰依を受けたことによる。その秀月禅尼の一周
忌にあたる1649年(慶安2年)には、中根壱岐守より本堂大
門惣門無常門と庫裏が寄進されている。
しかし、1701年(元禄14年)には、西本願寺に帰参し本願
寺の直末となり現在に至っている。この時から、長念寺は有
力旗本の庇護から離れ、門徒の総力により護持される寺とな
る。その2年後の1703年(元禄16年)には、鐘楼が建立さている。
梵鐘鋳立の奉賀帳には2230名余りの名が記載されて
いる。その記録によると,門徒組織が、現在の川崎市多摩区、
麻生区、宮前区、高津区、横浜市緑区、東京都稲城市、狛江
市、調布市に散在しており、現在の状況とほとんど変化はな
              もんぽう
く、浄土真宗の開法の道場として広域にわたり活発な布教活
動が行われていたことが知られる。 ・・

浄土真宗本願寺派 永池山  長念寺

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〔宗派の帰属と門徒組織〕

〔開 基)

長念寺は、1522年(大永2年)法専坊によって当地に草庵
が築かれたことに始まる。当初真言宗の寺院であったとの記
録がある。山号は、開基の年に因んで「大永山」と名付けら
                  えいちざん
れたが、その後、「永池山」と改称された。それは、長念寺
の東側に多摩川の支流の名残である三日月湖があったことに
よるといわれている。また、1592年(文禄元年)には地頭河
野庄左衛門盛利から、本尊のための茶湯面として、屋敷500
坪の永代寄進を受けている。

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