浄土真宗本願寺派 永池山 長念寺
1534年(天文3年)、仏師 道仙正蓮(日光住)製作。この阿弥陀如来像は、長念寺の塔頭(たっちゅう)であった了福寺(通称「前案 まいりょう」)の御本尊として安置されていた。推測ではあるが、この阿弥陀如来像は、1848年(弘化5年)に、本堂再建の落慶法要に併せて御本尊の御入仏法要が厳修されていることから、それ以前のご本尊であったものを、了福寺へお移して安置したと考えられる。体内に墨書があり、製作年と仏師の名と願主の名が記されている。
秀月禅尼は、徳川家光に仕えていた中根壱岐守平十郎正朝の母。長念寺は、江戸時代初期に、熱心な真宗門徒であった秀月禅尼の帰依により大きく発展した。
この画像は、中根平十郎の願いにより、禅尼の三回忌にあたる1650年(慶安3年)に東本願寺の宣如上人より下付されている。禅尼の墓所は、長念寺境内にある。
紙本金地着色
鳥合わせ図屏風 六曲一双
(縦:各172.1cm、横:各265.5cm。昭和59年神奈川県指定重要文化財指定)
絹本着色 秀月禅尼画像
(縦:65.5cm、横:27.5cm。昭和36年川崎市重要歴史記念物指定)
木造 阿弥陀如来立像
(像高:64.3cm。昭和60年川崎市重要歴史記念物指定)
寺伝では狩野永徳作とされている。屏風の画風は、慶長のころの狩野派の画風をもっている。「鳥合わせ」とは、貴族などの間でおこなった愛鳥の鳴きくらべであろう。図には、池庭の一部を見せ、左右に居館の軒先を示している。縁の下には漆喰ぬりらしい亀腹の一部が見え、縁の上張りは白木造りを示している。
左右の各扇とも居館の縁先に2個ずつ計4個の異なった形の鳥籠が描かれ、うぐいす・うずら・めじろなどが飼われている。籠は黒漆ぬり梨地に金銀をもって草花の蒔絵を施した図が描かれており豪華なものである。また、庭には、松・柳・つつじなどに岩石を配した盆栽が描かれている。人の姿は全く
ない誠に閑寂な構図である。
狩野土佐両派の折衷による構図筆法を持つ、桃山時代の金壁装飾画の一例で狩野派の画家により描かれたものである。
川崎市のホームページで紹介されています。