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山伏弁念

2008年2月1日


 はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人が北関東に居られたころの話。
 弁念という山伏がいました。弁念は加持祈祷をすることにより人びととの接点を持ち、信望を得ていたのではないかと思います。しかし、親鸞聖人が念仏ひとつで救われることを説き、その教えが広まるに連れて、自分の立場が脅かされてくることを感じます。加持祈祷に頼っていた人びとが、それを必要としなくなってきたのです。
 弁念は親鸞聖人に殺意を懐きます。聖人が、お住まいの稲田の草庵からほど近い板敷山という人里はなれた山道を通るときに殺害に及ぼうとするのですが、その機会がなかなかめぐってきません。ついに弁念は、武器を携えて直接聖人のもとを訪れます。
 その場面を、覚如上人は「御伝鈔」で次のように表現しています。
 「禅室にゆきて尋ねまうすに、上人左右なく出であひたまひけり。すなはち尊顔にむかひたてまつるに、害心たちまちに消滅して、あまつさへ後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、ありのままに日ごろの宿鬱を述すといへども、聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿の衣をあらため」
聖人に帰依されたとのことです。
 親鸞聖人と弁念すなわち明法房との劇的な出逢いの場面です。弁念は、何の警戒の様子もなく出て来られた聖人の尊顔に向かい合ったとたん、殺害しようとしていた思いがたちまちに消えて、涙があふれてきたとのことであります。
 弁念さんのことについては、親鸞聖人のお手紙の中にも出てきます。親鸞聖人の晩年、京都の聖人のもとに明法房すなわち弁念がなくなられたとの連絡が入ります。それに答える聖人のお手紙です。往生間違いなしとのお手紙です。
 弁念さん、気性の荒い山伏とのイメージで描かれる事が多いのですが、私は、とても真摯に仏教を求めた人だったのだと思います。人びとを救うために修行をし山伏になり、親鸞聖人が現れて自分の立場が危うくなってきた時、憤りの中にあっても、相手がどんなことを言っているのかを聞く耳を持っていたのだと思います。加持祈祷という手法に限界を感じていたのかもしれません。どうやら親鸞が語っている教えの方が、自分の求めているものに近いのではないかとの思いを持ち始めていたのではないでしょうか。あとは、自分が親鸞を人間として認められるかどうか、口先だけの人間だったら初期の目的の通り殺してやるとの思いで、親鸞聖人のもとを訪れたのではないのかと思います。
 およそ800年前の出来事に想像を巡らしてしまいました。
 次の法話テープの交換は2月15日です。