法話へ
三部経千部読誦     2月16日〜

 はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人が越後から常陸への旅の途中、上野の国佐貫にて、災害で苦しむ人びとの姿を目の当たりにし、衆生利益のために三部経の千部読誦を思い立たれます。しかし、四・五日で思い返して読むのを止め、常陸に向かわれます。
 この出来事は、親鸞聖人の奥様である恵信尼さまが、聖人ご往生の後、末娘の覚信尼に宛てたお手紙に記されています。
 聖人が59歳の時、高熱で床に臥すことがありました。4日目の朝、苦しい息の中で「まはさてあらん」と仰ったので、「なにごとですか」と尋ねると、聖人は、自分が夢うつつの中で大経を読み続けており、目を閉じるとお経の文字が一字も残らず詳らかに見えるような状態であったことを話されます。そして、佐貫での出来事を思い出されたのです。
 ここで親鸞聖人は、ご自身に対して厳しい目を向けておられます。念仏ひとつで救われると自ら信じ、人に伝えていく事が仏恩に報いる事と信じていながら、何が不足でお経を読もうとしたのかと。
 自らの心の奥底に、読経の功徳で病を押さえ込もうとする、自力のはからいが生じていることを厳しく見つめられたのです。聖人は、三部経読誦を始めた時、他力の念仏者ではなく、修行により特別な能力を得て加持祈祷をする偉いお坊さんになってしまっていたのです。そのことは、聖人にとって自力のはからい心がいかに強いものであるかを象徴する、出来事であったに違いありません。
 祭壇の前で一心に三部経を読む聖人の姿は、承元の法難に至る過程で、法然上人の専修念仏集団の台頭に危機感を持ち、圧力をかけてきた既存仏教の僧侶たちとまったく同じ姿であったのです。おそらく、読経を続ける聖人を見つめる、人びとの期待と恐れの混じったひとみを感じた時に、そのことに気づかれたのではないかと思います。仏教の真の救いを人びとに説くこともせず、その教えが説かれているお経を道具にして、祈祷師のまねごとをしている自分自身の姿に愕然とされたに違いありません。念仏ひとつで救われると常に説いているにもかかわらず、まったく逆の行動をしている自分に恥じ入り、読経を中断してその地を去られたのです。
 この佐貫での出来事から、私たちは、親鸞聖人のお念仏のみ教えに対する真摯な姿をあらためて感じとることができます。恵信尼さまは、その聖人の心を充分理解した上で、覚信尼さまに伝えてくださっているのです。
 次の法話テープの交換は3月1日です。