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聴聞の機会を大切に

平成20年5月1日〜

はい、長念寺テレホン法話です。
 同じことを学ぶにしても、活字を通して学ぶよりも、耳から学ぶほうが納得し易いとは誰もが感じていることと思います。
 最近は、インターネットの普及で活字によるやり取りが増えました。しかし、そこでは意志の疎通がうまく行かず、誹謗中傷にまで至ることが多々あります。子どもたちの周辺でも状況は同じであり、最近話題になった学校裏サイトの問題など、酷いいじめの場となることも頻繁にあるとのことです。ひととひとの間の意志の疎通というものは、なかなか難しいものだと考えさせられてしまいます。
 浄土真宗では、「聴聞」すなわち、仏法のお話を聞くことを大切にいたします。仏教は、聞いて納得する教えといってもいいでしょう。書物を通しての学びでは、ひとそれぞれの予断も入りますし、また、信心の問題より、知識を得ることが優先されてしまうきらいがあるからです。
 法話を聞いておりますと、同じことばでありましても、話し手の声色や音の高さ、そして表情などを通して、活字を通すだけでは伝わって来ない深い意味あいを、ストンと納得できることがあります。
 インターネットはとても便利で、即時に活字にて意見の交換をすることができます。しかし、そこでは仕種や表情まで送ることはできませんから、誤解を生じてしまうこともあります。見えない相手とのやり取りですから、相手の反応は文字でしか判りませんので、気づかずに不快な思いを繰り返しさせてしまうこともあり得ます。それが攻撃的な文章になりますと、ことばは、その場で消えてしまいますが、記録が残りますので、読む者にとりましては短い文章であっても激烈な印象を残す可能性が高いのです。
 仏教は、もともとことばが難しく、そのうえ一般社会では、仏教用語が誤用されていることも多く、まず仏教に対する誤った固定概念を取り除くことから始めなければならないような場面も多々あります。現代人の一番の問題点は「知っているつもり」です。
 インターネットの普及でひとのこころが如何に軽んじられているかが語られています。その人間のこころやことばの問題を、お釈迦さまは2500年前に深く洞察して教えを説いておられるのです。
 現代に生きる私たちにとりましては、仏法の教えに会える機会は、非常に少ないと言ってもよいでしょう。私たちはその少ない機会を大切に聴聞していかなければならないと思います。
 次の法話テープの交換は5月16日です。