法話ホームへ
仏法を聞く姿勢

平成20年5月16日~

はい、長念寺テレホン法話です。
 蓮如上人は、仏法を聴聞する姿勢について、「同じことを何度聞いても、いつも珍しく
初めて聞くような思いを持って聞くべきです」と仰っておられます。
 私たちは、同じことを聞きますと、すぐ「わかった、わかった」という気持ちになって
しまい、真剣に聞く心を失ってしまいがちです。
 最近では、仏教を教養のひとつとして、学ぼうとする傾向があります。知識欲を満足さ
せたいという思いで法話を聞きますとあてが外れたような気持ちになるのかもしれません。「もっと具体的な話を聞きたい。例えば仏像の見分け方などを知りたい」とノウハウ的な話を求められることが時々あります。
 たしかに、知識が増えることは楽しいことです。その分、仏教が分かったような気になり
ます。 ところが、知識の多さと信心の深さは、ほとんど関係がないと言ってもよいので
す。なぜならば、仏法を聴聞するということは、阿弥陀さまのおこころを聞くことだから
です。知識が増えても、仏さまにこころが向かないようであってはなんにもなりません。
ましてや、知識の多さを振りかざすようであっては、その知識が、信心の邪魔になるだけ
で、助けにはならないのです。 『涅槃経』に「論議のためや、他人に勝つためや、財産
や名誉のために仏法を利用するならば、それは、仏法を聞いていないのと同じことです」
とあります。仏法は、私たちの「生死出ずべき道」が説かれているのです。人ごとではあ
りません。同じお話を繰り返し聞いていくなかに、「ああそうか、仏さまは、この私を
お目当てに働いていてくださるのだなあ」と味わえる時が必ずあるのであります。
「その話はもう聞いた」という思いの中で聞くうちは、肝心な仏さまの声は聞こえてこな
いのであります。
 ある高名な先生から、このようなお話を聞いたことがあります。
 「法話をなさる時、めずらしいことをお話ししようと力む必要はありません。同じお話を
繰り返し繰り返しなさることは、とても大切なことです。ご門徒から、お寺へ言って
『ご住職のいつものお話を聞きにきました』といわれるようであってほしい」と。
 蓮如上人が、「同じことを何度聞いても、いつも珍しく初めて聞くような思いを持って
聞くべきであります」と言われたのは、気が散りやすい私たちのことを心配して、
「阿弥陀さまのおこころをしっかり味わえよ」との上人のお心遣いであったのです。
 次の法話テープの交換は、6月1日です。