法話へ
築地本願寺で行われた東京教区保育連盟の保育者研修会で、「心を育てる」というテーマで本多静芳先生のお話を伺い、保育の現場における多くのヒントをいただくことができました。保育の現場といいましても、私たちの普段の生活にも通じることですので、その一部を紹介させていただきます。
 現代に生きる私たちのものの見方は、合理性や効率性という価値を基準にしていることがほとんどです。「役に立つか立たないか」「価値があるかないか」が基準となります。そこではものごとの意味というものに関心が向きにくい傾向にあるといえると思います。 「おかげさま」という感覚もあまりなくなってきてしまいました。当然の権利としてものごとを捉えたり、世話をやかれて気遣いをするくらいならお金で解決をする方法を選ぶ時代です。
 私たちは、感動することが少なくなりました。小学生の理科の問題です。「氷がとけたら何になりますか」との問の答えは、「水になる」が正解です。しかし、「春になる」と答えた子どもがいました。
 感受性の豊かさは、テストの点数では表わせないものがあります。反対語を当てる遊びがあります。「上」の反対は「下」です。「終わり」の反対は「はじめ」です。「白」の反対は、「赤」と答える人もあるでしょうし「黒」と答える人もあるでしょう。では、「ありがとうの」反対はなんでしょうか。
 「ありがとう」の反対は「あたりまえ」です。「ありがとう」を漢字で書くとよく分かります。「有ること難し」です。もともとは、かけがえのなさを感じて表現された言葉です。かけがえのない意味に気づかされるからこそ「ありがたい」のです。感動のない人にとっては「あたりまえ」で通りすぎてしまうことが多いのではないでしょうか。
 保育者研修会では、成長が著しい乳幼児期に、日常や自然環境、そして成長の過程の中での感動を導き出す保育をすること、そのためには保育者自身の感性を磨き感動できる心を常に保つことの大切さが語られました。
 「心を育てる」こと。これは保育の現場だけの問題ではありません。私たちの生活の上でも大きなヒントとなることです。あらゆるものごとに仏を感じ、感謝を忘れない生活。仏教的生活とは、まさに自然に心を磨かれていくことであり、感性が豊になっていくことであると思います。
 次の法話テープの交換は8月1日です。