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平成20年8月16日〜

チベット問題に注目
はい、長念寺テレホン法話です。
 北京オリンピックの各種競技の結果に一喜一憂しています。頂点を極めることの
素晴らしさとともに、頂点を極めることの難しさも痛感させられることであります。
 オリンピック期間中は、競技に注目が集まりますが、北京で開催されたことにより、
中国という国家に多くの人々の関心が向いたということはとても重要なことだと思い
 ます。事前イベントの聖火リレーで、中国がチベット問題をはじめとする人権問題を
 抱えた国であることが全世界に明らかになり、関心を集めました。
 私がチベットに関心を持ったのは、学生時代、チベット仏教の歴史、それもチベット
 大蔵経について学んだことからです。
 仏教経典は、インドで釈尊滅後、僧侶集団が結集を繰り返す中で編纂されてきたもの
 です。初期の経典はサンスクリット語やパーリ語で編まれていました。私たちが身近
 にいただくお経は、中国で漢文に翻訳されたお経です。仏典を学ぶ上で、漢訳仏典で
 用いられている言葉が原点では何にあたるのかが重要な問題となります。しかし漢訳
 の歴史は古く長期にわたり、多くの人々の手によってなされました。有名な玄奘三蔵
 による漢訳はほぼ画一されたルールで訳されているのですが、玄奘以前のものとなり
 ますと翻訳ルールが統一されておらず原典対比が非常に難しくなります。ですから、
 私たちは玄奘三蔵の翻訳を新訳といい、それ以前の古いものを旧訳といって分けてい
 ます。 そこで、チベット大蔵経が大きな役割を果たします。チベット大蔵経は、
 原点のサンスクリットから直接に、そして、一定のルールを持って翻訳されています。
 したがってチベット語と漢文を対照することにより、原典がより明確になります。
 その上、サンスクリット原典は紛失されたものが多く、漢文とチベット語を対照する
 ことにより原典を推測する作業もある程度可能となるのです。
 ただし私にとって、現代のチベット仏教は日本仏教と形態があまりにもかけ離れて
 いるために、関心を持つことができないままできてしまいました。
 しかし、ダライラマの発言や人となりを知り、その仏教の思想に裏打ちされた行動に
 感動を覚えました。現在の中国では、政治的圧力によりチベット文化を中国で守る
 ことが困難になりつつあります。チベット文化を守るためチベットを離れインドにある
 亡命政府のもとで学ばなければならない不条理が現実にあるのです。
 ダライラマが主張する非暴力による共存共栄が成り立つよう、オリンピック後にも継続
 して中国のあり方に注目していかなければなりません。
 次の法話テープの交換は9月1日です。