はい、長念寺テレホン法話です。
 敗戦後63回目の夏。8月15日、日本武道館で開催された政府主催の全国戦没者追悼式で
 福田首相は、アジア諸国への加害責任に触れた上で不戦の誓いを述べました。93年の
 細川首相の時以来、加害責任に触れた首相の式辞が恒例になっています。今回の式典で、
 河野衆院議長が「特定の宗教によらない追悼施設の設置について真剣に検討を」と述べた
 ことは注目に値します。
 終戦記念日のニュースでは、式典に参加する遺族の高齢化が伝えられていました。
 着実に、戦争の記憶は薄らいできています。国による追悼の姿勢が定まらないまま、
 国民の戦争の記憶が風化しつつあることに強い危惧を覚えます。
 戦後『日本国憲法』で信教の自由、政教分離が保障され、国家護持を否定されたにもかか
 わらず、靖国神社は、不明瞭な存在のままできています。その要因は、戦前の記憶を繋いだ
 まま形態を維持する強固な働きがあったからに相違ありません。また、戦前の教育により
 国民に強固に根付いていた戦前のヤスクニの思想という働きを、『憲法』という後ろ楯が
 ありながら政治的に切り捨てることができなかった政治そのものにも原因があります。
 反面、戦争と敗戦の記憶は靖国神社を全面的に肯定することはしませんでした。
 あまりにも多くの犠牲を生んだ先の戦争は、イデオロギーとしての靖国の思想の台頭に
 ブレーキをかけ続けてきました。名誉の戦死と美化するだけでは済まされない遺族の現実を、
 誰もが目の当たりにすることがあったからです。「もう戦争はイヤだ」という遺族の心情を、
 遺族でなくてもみなが知っていたからです。その声はけっして大きなものではありませんで
 したが、その影響力は小さなものではありませんでした。そのような遺族は、靖国神社
 国家護持推進派の人々のまわりにも確実にいたのです。
 靖国神社が不明瞭な存在のまま現在に至っているのは、背景に戦争の記憶という根強い国民
 感情があったからだと思います。しかし、すでに政治家の中においても靖国神社国家護持の
 動き自体が、体験的な背景がない人々によって推進されるものとなりつつあります。
 戦争の記憶の風化が進むことにより、むしろ戦争を美化しイデオロギーとして先鋭化する
 傾向が強まってきています。そして、戦争の記憶の風化は、国民のあいだにもそれを疑問
 なく受け入れる土壌がなし崩し的に生れつつあると考えるべきと思います。
 私たち宗教者は、遺族の悲しみやつらさ、せつなさに直接触れる立場であります。
 その遺族がこの世を去り、遺族の遺族の時代になりつつある現在にあって、私たちの役割は
 むしろ重くなりつつあると考えます。
 次の法話テープの交換は9月16日です。
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平成20年9月1日〜

戦争の記憶の風化