力強い生き方
はい、長念寺テレホン法話です。
ネパールのカトマンズに、カトマンズ本願寺があります。向坊弘道さんのご縁でチベット僧
であったソナム・ワンディ・ブティア師が初代所長になり4年前設立されました。
このお話を、武蔵野大学の公開講座で拝聴し、とても懐かしい思いがいたしました。
向坊弘道さん、長念寺にも14年前の平成6年にお出でいただき講演をしていただいていま
す。向坊さんは東京大学に在学中の19才の時に交通事故で四肢体幹マヒのハンディキャッ
プを負い、電動車椅子での生活の中で日本に止まらず多方面で活躍をされ、一昨年5月に
68歳でご往生されています。
向坊さんの活躍の背景には、親鸞聖人への帰依と念仏者として信心に裏打ちされた人生観が
ありました。長念寺でお話をされた時にもそのことをお話しくださいました。事故に遇い
自暴自棄になっていた時に、紹介された書物から親鸞聖人に出会ったこと。家族が藁をも掴
むような思いで、自分の不幸を聞きつけてやってくる宗教に翻弄されているのを見るにつけ、
強い宗教不信を懐いていた。しかし、親鸞という人は、現世祈祷を一切否定しているという。
いったいどんな人なのだろうという思いから、近くのお寺へ行き聴聞を重ねるようになった
とのことでした。
向坊さんは、頸椎を損傷し、首から下の自由が利かなくなってしまったという現実を、どの
ように納得し受け入れていくか、それも定まらない中で、親鸞聖人に出会い、他力の大慈悲
に生かされていることに気づかされたことは本当に幸せだったと、私たちに強いメッセージ
を伝えてくださいました。私には、昨日のことのように思い出されます。
日本の中世に生きられた親鸞聖人。鎌倉時代は、貴族の時代から武士の時代に転回した乱世
です。平安時代の悠長な物忌みの世界から、社会が大転換し生死の不安が日常現実のものと
なった時代です。頓服薬のように不安を解消してくれるものがあれば、人々はそれに飛びつ
いたものでしょう。その中で、因果の道理にあわないものは真実ではないとの姿勢を貫き、
無明の迷いに流されがちな自らを問い続けて行かれました。そのごまかしのない力強い生き
方の背景には、阿弥陀如来という真実絶対の大慈悲に生かされているという大きな安心があ
ったからです。
親鸞聖人の生き方は、時代を越えて普遍的です。今、あらためて親鸞聖人について学ばせて
いただきたいと思っています。
次の法話テープの交換は12月16日です。