はい、長念寺テレホン法話です。
 師走。今年もあと半月になってしまいました。
 先日、このところ一年が過ぎるのがとてもはやくなってきている気がするのですがなぜ
 でしょうという話題になりました。子どものころには、冬休みがはじまってお正月にな
 るのがずいぶん長く感じられたものだったものです。今では、やらねばならない仕事が
 沢山あるのに時間だけがいたずらに過ぎていくような気がしてなりません。
 「世の人、薄俗にしてともに不急の事を諍そう」
 この言葉は、『仏説無量寿経』の中に出てきます。「世の中の人々は、愚かにしてとも
 に急がずともよい事を争ってする」ということです。田があれば田が有ることによって
 憂え、田がなければ田がないことによって憂うのが人間であると説かれています。あれ
 ば有ることによりなければないことにより悩む人間の姿を的確に表現しています。
 アメリカ発の経済危機が、日本の経済にも大きな影響を与え始めています。大会社の人
 員削減は容赦なくはじまりました。会社の経営者は、会社の身を守るために先手で人員
 削減をして保身にかかろうとしています。それが最近の経営の常道なのかもしれません。
 皆で荒波に絶えて時を待つなどという時間は、できるだけ短くして、身軽になることのみ
 を考えているとしか思えません。争いに勝つことにのみ汲々としているということなので
 しょうか。派遣社員や契約社員という会社にとって都合のよい存在は、今こそ見直される
 べきでありましょう。雇用の質がここまで変化していくと、社会全体のバランスが崩れ、
 平和と安全が脅かされる事態が起こらないとも限りません。
 今何を急いでやらなければならないのか、個人も社会も、わけがわからなくなっている
 のではないかと思います。
 親鸞聖人は、「生死出ずべき道」を求め生涯を送られました。蓮如上人は、「後生の一
 大事」を説かれました。過去・現在・未来の三世に渡り人生を見つめていくその姿勢は、
 時間を今だけ切り取って考えるのではなく、無限の生命の中の今を見つめていく広大な
 視点があったということが言えると思います。
 無限の生命の中の今という時間が、どんなに大切なものなのか。もっと言えば、人間と
 して生れたこの尊い生命をどのように生きなければならないのかを考えることを、私た
 ちの重要な課題にしなければならないのではないかと思います。
 社会や個人の時間のテンポが速くなり、いつの間にか、人としてあるべき大切な心が
 失われてしまってきているのではないでしょうか。よく考えてみなければなりません。
 次の法話テープの交換は1月1日です。
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平成20年12月16日〜

不急の事を諍そう
      
(あらそう)