法話へ

平成21年2月16日〜

はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人は、非僧非俗の立場を貫かれた方であります。「僧に非ず、俗に非ず」。
この言葉は、『教行信証』の後序、承元の法難を語る厳しいお言葉の中にでてきま
 す。
 親鸞聖人は、承元の法難で弾圧をうけ、僧籍を剥奪され藤井善信と姓名を与えられ、
 流罪の身となります。この時から非僧非俗の立場になったのだと回顧されています。
 ここで私たちが注目しなければならないのは、「非俗(俗に非ず)」という言葉で
 す。僧籍を剥奪された事実のみを述べるのなら、律令制度における僧侶ではなくな
 ったのですから、「非僧(僧にあらず)」というだけでよいのです。しかし、聖人
 は「僧にあらず俗にあらず」と述べておられます。
 「非僧非俗」とは、国が定めた制度上の僧侶ではなくなったが、仏法を捨てたわけ
 ではなくこころも体も今までと同じ僧侶のままであることを宣言しているのです。
 この言葉には聖人の強い決意が包含されているのです。
 親鸞聖人は、聖徳太子を深く尊敬されていました。聖徳太子は、仏教を深く信じ
 『三経義疏』を著し、法隆寺・四天王寺を建立するなど仏法興隆につとめました。
 『十七条憲法』は仏教思想に基づいて制定されています。しかし、生涯俗人の立場
 でありました。それにも関わらず親鸞聖人は日本の教主であると讃えておられます。
 また、親鸞聖人は、妻を持ち乞食をしながら仏法を伝え続けた加古の教信沙弥も尊
 敬されています。
 聖徳太子も教信沙弥も、世俗の生活をしながら仏法を伝え続けた方であります。そ
 こでは、特別な力みはありません。むしろ自然体で仏法が生きているのです。親鸞
 聖人は、そこに尊敬の念を持たれたのに違いありません。
 ここで、もう一度「非僧非俗」という言葉をふり返ってみます。この言葉は、
 『教行信証』の文章の流れから、時の権力に対して述べられた言葉であるというこ
 とができます。権力が世俗の制度上の僧籍を剥奪しても、私が仏法の僧侶であるこ
 とは変わらないという意志を表明しているのです。
 よく親鸞聖人の生き方を在家主義といいます。しかし、親鸞聖人は、その後の生涯
 について、妻帯についても、また家庭を持ちながら仏法を伝えてきたことも、なに
 も言及していません。聖人は主義主張を持って妻帯したのではなかったのです。む
 しろそれが、聖人にとっては僧侶として仏道を歩む上で、自然の姿でしかなかった
 ということなのだと思います。
 次の法話テープの交換は3月1日です。
「非僧非俗」との言葉