法話へ

平成21年3月1日〜

親鸞聖人の妻帯に思う
はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人が結婚されたのはいつのことか、定説はありません。事実としては、
 恵信尼さまという奥さまがいらっしゃったことはその直筆のお手紙にて明らか
 なことです。恵信尼さまとは京都時代に結婚されたのか越後へ流されてから結
 婚されたのか定かではありません。玉日伝説といい、恵信尼さま以前に別の奥
 さまがおられたという説もあります。
 僧侶の妻帯が公には認められていない時代です。以前私は、親鸞聖人が妻帯に
 踏み切られるには相当の覚悟が必要だったのではないかと想像していました。
 仏道修行中の身、女犯は大罪です。しかし、師の法然上人は、仏道を歩む上で
 妻が必要であれば妻帯すればよいとの立場をとっておられました。専修念仏の
 教えは今までの仏教とは違い、選ばれた人だけが学ぶのではなく、男女を問わ
 ずどのような立場、どのような仕事をしている人でも仏法は分け隔てがありま
 せん。その立場を、具体的に人々に示すため公然と妻帯に踏み切ったのではな
 いかと思ったこともありました。
 都市開教で新しくお寺を建立されたご住職からこのような話を聞いたことがあ
 ります。「まったく知らない町に布教所を構え、とても苦労をしたのは周囲の
 人々から信頼を得ることだった。子供会を始めようにも子供が集まらない。
 しかし、結婚し家庭を持つようになって子供会も開けるようになりました。こ
 ちらの意欲だけでは信頼を得られないことがあるのですね」と。
 聖者として人の上に立ち、仏法を広めようとするなら、形を重んじなければな
 りません。それを外れるならそれなりの大義名分が必要になってきます。しか
 し、お同行(同じ道を歩むもの)として、世の人々と共に生き、お念仏のみ教
 えを伝え共に聞く立場になられた親鸞聖人にとりましては、出家として特別な
 生活を維持する意味など、すでに必要としなくなっていたのではないかと思い
 ます。結婚も家庭も同じ立場で、苦楽を共にしていくのが自然の姿だったのだ
 と思います。
 聖人の伝記に、六角堂百日参籠の95日目に夢告を得たとのお話があります。
 有名な「行者宿報設女犯」ではじまる夢告偈です。私は言い訳染みていてあま
 り好きではありません。覚如上人が『御伝鈔』に引用されていますので大事に
 されている言葉ではありますが、親鸞聖人を高僧(=聖者)として美化するた
 めに聖人ご往生の後、早い時期に創作されたものだろうと思っています。
 むしろお同行と同じ生活をしているところに、共感や親しみがわき、み教えが
 広まったということではないでしょうか。都市開教のご住職の言葉にとても重
 要なヒントをいただいたような気がしています。
 次の法話テープの交換は、3月16日です。