法話へ

平成21年3月16日〜

はい、長念寺テレホン法話です。
 春のお彼岸、今年は20日を中日として17日から23日の一週間です。
 「彼岸」という言葉、「此岸(この岸)」に対する言葉です。この岸を、
 現世と考えるならば、彼岸は「次の世」であり死後の世界を表わします。
 しかし、「お彼岸」という言葉の語感からただ死後の世界を示すというこ
 とだけでなく、そこには憧れのようなものを感ずることができます。その
 感覚は、仏教が私たちの生活の中に根付いているからこそ来る感覚だとい
 うことができるのではないでしょうか。
 仏教では、此岸・この世は、娑婆世界という言葉があるように、迷いの衆
 生が住む世界と捉えます。したがって、彼岸は、仏さまの住む世界、すな
 わち「悟りの世界」であり、「お浄土」であります。
 浄土真宗の本堂は、御本尊の阿弥陀如来さまを中心にお浄土のお飾り(お
 荘厳)をします。ただし、お浄土のお飾りといいましても、私たちが想像
 できる範囲でのお飾りでしかありません。本来、お浄土とは私たちの想像
 をはるかに超えた存在です。煩悩にまみれた私たちの想像力では到底及ば
 ない素晴らしい世界であるとのことです。
 家庭のお仏壇も同じです。私たちの想像では限界がありますが、お浄土に
 少しでも近づいていたいとの願いからお花などで美しくお飾りをするので
 す。 私たちはお浄土を、かの岸と捉えるように対立的に遠い存在と考え
 てしまいます。たしかに、私たちの住む娑婆世界は、私たちが考えるとこ
 ろの理想の世界からはほど遠く、お浄土はそれこそはるか遠くの未知の世
 界と思えます。
 しかし、お浄土は私たちの世界も取り込んでいるのです。阿弥陀さまとい
 う仏さまのお浄土に生れるということは、阿弥陀さまの働きそのものにな
 ることです。すなわち、娑婆世界に還り迷える人々を救う働き手となるこ
 とです。すなわち、娑婆世界はお浄土ではありませんが、お浄土は娑婆世
 界をも取り込んで働き続ける世界ということになります。
 蓮如上人はこんな面白いことを仰っています。
 「極楽はたのしむと聞きて、まゐらんと願ひのぞむ人は仏に成らず」
 極楽浄土は楽をして暮らせるところと聞いて、是非そこに生れたいと願い
 望むひとは仏になることはできないと言っておられるのです。お浄土に生
 れてこそ真実の眼が開かれ本当に人々を救うことができるのだから、「楽
 をして暮らすような暇などないよ」と言っておられるのです。
 次の法話テープの交換は4月1日です。
彼岸