還相回向(げんそうえこう)
はい、長念寺テレホン法話です。
昨年改定されました『浄土真宗の教章』において、ご門主さまは浄土真宗の教義について
「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽
きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」と短い言葉で表わ
されています。
ここで特徴的なことは、「この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に
還って人々を教化する」と示しているように、お浄土に生れるだけではなく、この世に還
って人々を導く仏となるのだと明記されていることです。
これは、親鸞聖人が『教行信証』で明らかにされている、往相と還相の二種の回向を現代
の言葉で明示したものです。往相回向は、阿弥陀さまの功徳によりお浄土に往生させてい
ただくことであり、まさに娑婆から浄土へ、此岸(この岸)から彼岸(彼の岸)へという
ことで法話などでよく聞くお話です。還相回向は、お浄土に生れたあと今度は阿弥陀さま
と同じ仏さまにならせていただいて娑婆に還り人々を導く仏にならせていただくことであ
ります。しかし、還相回向については、なかなかそこまで踏み込んだお話を聞く機会は少
ないような気がいたします。
ですから、今回ご門主が、還相回向についてはっきりと明示されたことには大きな異議が
あると思います。
前回、蓮如上人の「極楽はたのしむと聞きて、まゐらんと願ひのぞむ人は仏に成らず」と
いう言葉をご紹介しました。蓮如上人が、お浄土で楽をして暮らすと考えているのなら
大間違い、楽をして暮らすような暇などないのだよといわれているのは、まさに浄土真宗
の教義の基本に立ってのことであります。
私たちは還ってくる仏さまといいますと、擬人化した姿を考えてしまいがちです。お化け
だとか霊だとか、なにかおどろおどろしいものとイメージが重なってしまう心配がありま
す。ですから、誤解をおそれるあまりあえて還相回向にはあまり踏み込んでいけなかった
のではないかと思います。
還ってくる仏さまは阿弥陀さまと同じです。阿弥陀さまそのものと言ってもよろしいので
はないかと思います。己が煩悩に縛られてしまい、あっちへふらふらこっちへふらふらし
ている私たちのような迷える衆生をお目当ての仏さまです。お浄土でのんびりなどしては
いられないのです。
次の法話テープの交換は4月16日です。