恵信尼文書
はい、長念寺テレホン法話です。
親鸞聖人の晩年、事情は定かではありませんが妻である恵信尼さまは、越後にお住まいで
ありました。親鸞聖人は弘長2年11月28日(西暦1263年1月16日)に京都にて
ご往生されましたが、末娘の覚信尼さまからその連絡を受けたのは、12月20日過ぎで
ありました。覚信尼さまのお手紙が12月1日付とのことですから、恵信尼さまが聖人の
ご往生を知ったのは、聖人がお亡くなりになられてほぼ3週間後とのことであります。
そしてその後、恵信尼さまが覚信尼に宛てたお手紙が『恵信尼文書』として残されている
のです。このお手紙により、私たちは聖人の生前のいくつかの事実を知ることができます。
比叡山時代に聖人は堂僧という立場であられたこと、法然上人のもとに入門される直前、
六角堂で百日参籠を行い九十五日目の暁に聖徳太子より夢の御告げを受けたこと、佐貫での
三部経千部読誦の出来事など、恵信尼さまのお手紙であるからこそ、私たちにも生き生きと
した聖人のお姿が伝わってきます。
常陸下妻の坂井の郷にいらした時、恵信尼さまは次のような夢を見られたとのことです。
お堂の前にご絵像をかけてあり、そこに二体の仏さまが描かれていました。その一体は光り
輝くばかりでお姿がよく分かりません。もう一体はまさしく仏さまのお顔をしておられます
近くにいた方に「これは何という仏さまですか」とお尋ねすると、「光り輝く仏さまは、
法然上人です。勢至菩薩さまでありますよ」と申されました。「それでは、もう一体は」と
お尋ねすると、「あれは観音さまです。善信(親鸞)の御房ですよ」と。
恵信尼さまは、その夢のことをまったく人には話さないのでいたのですが、あるとき親鸞
さまに夢の中にあった法然上人のことのみを話されたところ、聖人は「夢にもいろいろある
が、それこそ事実の夢である」と大変よろこばれたとのことであります。
その時、恵信尼さまは、親鸞聖人が観音さまであったということはお話にならなかったとの
ことであります。それ以来、恵信尼さまは、夫である親鸞さまのことを普通の御方ではない
と思いお仕えしてきたと、そのお手紙には書かれています。そして、娘の覚信尼にも、その
ことを心得るように伝えています。
たわいもないお話のようでもありますが、親鸞聖人のご家庭がどのようなものであったかが
偲ばれるお話であります。
次の法話テープの交換は6月1日です。