法話へ
平成21年6月1日より
親鸞聖人の健脚ぶり
はい、長念寺テレホン法話です。
 5月21日の、ご本山西本願寺の降誕会法要、そして翌22日には本願寺御影堂平成大修復完成慶讃法要に
参拝してまいりました。私たちの教団は、親鸞聖人の御真影(木像)をおまつりする御影堂を中心にして結
 びついた組織であることをあらためて感じたことでありました。ご門主がご真教で、御影堂を扇の要と譬え
 ておられたのは、満堂の参拝者に共通する思いでもありました。
 私たちは余った時間を利用して、親鸞聖人が比叡山を降りる決意をされた百日参籠の場である六角堂を訪問し
 百日間通われた比叡山と六角堂の位置関係を確認してまいりました。車を利用しても一時間ぐらいかかる距離
 徒歩であればどのぐらい時間がかかるのでしょう。高低差も相当あります。毎日往復するということは並大抵
 の体力では到底叶わないことと思われます。走るように山道を歩かれたのでしょう。想像を超えた健脚ぶりと
 考えられます。
 親鸞聖人の寿像(存命中に造られた肖像)といわれる安城の御影などには、猫皮の草履が描かれています。
 このように革製品を描き込むことに、多少なりとも違和感を感ずるひとがあると聞いていました。高僧らしく
 ないとの疑問です。そのことについて私は、親鸞聖人の教えに集う人々の職業を忍ばせていただいておりまし
 た。猫皮の草履は、狩猟を生業とする人々からの贈り物であったのだろうと想像していました。
 しかし、比叡山と六角堂の位置関係を目の当たりにして、親鸞聖人の健脚ぶりは藁で編んだ草履では間に合わ
 ないほどであったのではないかとの思いに至りました。猫皮の草履がわざわざ描き込まれている訳は、その草
 履が親鸞聖人愛用の品であり、聖人の健脚ぶりを象徴する品物であったということなのでありましょう。
 私たちは、その後、聖人が吉水時代に生活の拠点とされていたといわれている大谷派の岡崎別院に参拝し、そ
 こから吉水の地である安養寺まで移動し、その間に、青蓮院、崇泰院、そして知恩院に参拝いたしました。岡
 崎から青蓮院まではタクシーを利用し、その後は徒歩で移動したのですが、知恩院の階段でバテてしまい、安
 養寺の階段を上り本堂にたどり着いた時にはヘトヘトでした。予定では四条大橋まで下り坂を歩くつもりでし
 たが、安養寺の下からタクシーに乗ってしまいました。親鸞聖人の健脚ぶりを偲ぶどころか、我が身の体力の
 なさを痛感した、聖人の御跡を偲ぶ旅でありました。
 次の法話テープの交換は6月16日です。