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平成21年7月1日〜

臓器移植法改正案(A案)衆院可決
はい、長念寺テレホン法話です。
 6月16日衆議院本会議で、現行の法律ではでは認められていなかった15歳未満の子供からの
 脳死臓器移植を認め、また死亡した者が臓器移植の意思を生前に書面で表示していて、遺族が拒
 まない場合のみを条件として、「脳死した者の身体」を「死体」に含むとしてその臓器を摘出できる
 とされてきた限定された脳死について、限定をまったく外してしまい「脳死を人の死」と定義す
 る改正案が可決されました。
 脳死による臓器移植については国民的なコンセンサスが得られているとは思えないと感じていま
 したので、4つの改正案の中からこの案が可決されたことに驚きを禁じえませんでした。
 移植を待つ患者やその家族の立場に立てば、臓器移植へのハードルは低い方がよいに決まってい
 ます。また、そこにある切なる願いも充分理解できます。先進国の中で日本だけが、脳死による
 臓器移植医療の面で立ち遅れているということから衆議院本会議の結果が出たのかもしれません。
 脳死状態とは、脳幹の機能が停止し人工心肺を外せば数時間後には人間としてのすべての機能が
 停止する状態であるとのことです。脳死状態で人工的に生命が維持されるのは、まさに高度な
 医療技術がなければ起こりえない状態です。人の死は必ず脳死状態を経るのですから、脳死を
 人の死と考えるのは理屈にあっているのかもしれません。ただし、より新鮮な死体を合法的に
 利用する目的があるから、脳死を人の死としなければならないということも事実です。
 脳死を判断できるのは医者のみです。家族からみれば、人工心肺により強制的に維持されている
 とはいってもまだ心臓は動いているのです。藁をも掴む思いで回復を期待する家族にとりまして
 医師による死の判断に、臓器移植という別の意図が含まれているとすればその信頼は大きく崩れ
 てしまいます。
 一人の死から多くの命が救われるのが脳死による臓器移植医療である、と考えることもできます
 反面、人の死が前提になければこの医療は成り立たないということも事実です。
 脳死による臓器移植医療は、倫理的にも宗教的にも軽々には解決しえない多くの問題を抱えた医
 療ということができると思います。ただし、人工臓器の開発が間に合わない現在、緊急避難的な
 過渡的医療として認めるべしと現実的な判断をすべきなのかもしれません。事実上、すでに人類
 はその段階に踏み込んでしまっています。
 衆議院解散という政局絡みで法案の成立は微妙ですが、臓器移植法が改正される場合、少なくと
 も、賛成反対のどちらの立場も尊重されるものでならなければならないと思います。
 次の法話テープの交換は7月16日です。