法話へ
老少不定

平成21年9月1日〜

 はい、長念寺テレホン法話です。
私は、仕事がら、
 「最近、亡くなられる方が多いのではないですか」
と、聞かれることがよくあります。回答に困るのですが、四季を通じて、この質問を受けるのです。
はっきり申し上げて、どの時期に亡くなる方が多いかは、私は知りません。ただ、私が確信を持っ
て申し上げられることは、「身内に、亡くなられた方があると、他人の不幸も見えてくるようになる」
ということです。
 普段は、お葬式の看板を見ても、そのことはすぐに忘れてしまいます。しかし、身内に不幸が有りま
すと、しばらくは、その家の家族の悲しみまで、偲ばれるのです。
蓮如上人は、『御文章』のなかで、「一生過ぎ易し、今に至りて誰か百年の形体を保つべきや、我や先
人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといへり」
と、言っておられます。
 私たちは、そのことに、なかなか気づかないだけなのです。ですから、そのことに気づくことができ
るということは人間として大切な一時を過ごしているといえます。
平均寿命のことは、よく話題になります。昨年(2008年) の日本人の平均寿命は男性は79.29歳、女性は
86.05歳だそうです。それでは、人間の死亡率は何パーセントでしょうか−−−−。
 言うまでもありませんが百パーセントです。
しかし、「そんなことを考えていたのでは、不安で、生活ができない」または、「縁起でもない」とい
う人が、いるかもしれません。
しかし、事実は事実なのです。目をつぶってもなくなるものではありません。まして、この世は、
「老少不定のさかひ」ですから、若いからといって安心はできないのです。
 この非常に不安定な人間としての命。仏教ではこの命をとても重要な時としてとらえています。有史
以前から生まれ変わり死に代わりしてきた私の命、今人間としてこの生を受けている。まさに仏法にあ
うことができるのは人間として生を受けたときのみなのです。このときを空しく過ごしてはなりません。
 普段は、ひとの命にさえも鈍感な私たちが、身内に、亡くなられた方があると、わずかな期間であって
も感受性がよみがえります。その期間に仏法にあうことはとても大切なことであると思います。蓮如上人
は、「後生の一大事」と表現され、その重要性を説いておられます。
 次の法話テープの交換は9月16日です。