法話へ

平成21年11月1日から

声に出して読む
 はい、長念寺テレホン法話です。
 前回、親鸞聖人がことばを大切にされたということをお話しさせていただき
ました。しかし、私の感想を述べただけのようなお話になってしまい、肝心な
親鸞聖人のことばをお伝えすることができず心苦しい思いがしていました。
 テレホン法話は、耳で聞くのですから聖人のことばを直に伝えられるのでは
ないか思い、挑戦してみようという気持ちになりました。ただし、ことばの意
味までお伝えするには3〜4分では時間が足りません。また、私に聖人のこと
ばのリズムや特徴をお伝えするほどの技量があるかはなはだ不安なところです
が、とりあえず読んでみましょう。聖人の主著であります『教行信証』の冒頭
にある総序最後の段落です。

 ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈
に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを
得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。こ
こをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

ここに引用した文章は短いものではありますが、親鸞聖人の喜びが凝縮され、
しかも大きく躍動しているように感じられます。また、親鸞聖人のことばには
一つのことばを分析し畳みかけるように、またかみ砕くように伝えていく迫力
があります。同じく『教行信証』行巻の有名な「六字釈」の一部分を読みま
す。

    しかれば南無の言は帰命なり。帰の言は、至なり、また帰説(きえ
つ)なり、説(せつ)の字は、悦(えつ)の音(こえ)なり。また帰説(きさ
い)なり、説(せつ)の字は、税(さい)の音(こえ)なり。悦(えつ)税
(さい)二つの音(こえ)は告(つぐる)なり、述(のぶる)なり、人の意
(こころ)を宣述するなり。命の言は、業なり、招引なり、使なり、教なり、
道(どう)なり、信なり、計(はからう)なり、召(めす)なり。ここをもつ
て帰命は本願招喚の勅命なり。

 意味を解説しないで読むだけでしたから、少々乱暴だったかもしれません。
しかし、そのリズムや躍動感を少しはお伝えすることができたのではないかと
思います。聖人の文章は、意味を理解した上で、声に出して読むことがとても
大事なことだと思います。そこでは、親鸞聖人の息づかいまで感じることがで
きます。
 次の法話テープの交換は11月16日です。