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六時礼讃

平成21年12月1日から

はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人が越後に流罪となった承元の法難。法然上人を中心とする専修念仏の法然教団は
 壊滅的な打撃を受けます。法然上人と親鸞聖人は流罪でありましたが、死罪となった方々
 がおられます。死罪になったのは4人であったと言われています。
 そのなかでも、安楽と住蓮という僧侶は、声明に長けていて、その美しい声と端正な風貌
 により読経の折には、多くの人々が集まったとのことです。そのお勤めは、『六時礼讃』
 といい、その美しい節回しは当時の人々を魅了したのです。
 『六時礼讃』の「六時」とは一日24時間を、日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中の
 六つに分けた「時」を示します。中国の善導大師が、その「時」それぞれにあわせ阿弥陀
 さまを讃えて歌を作られたのが、『往生礼讃偈』という書物です。法然上人は、善導大師
 の著述を殊に重用されました。「偏依善導」ということばがあるほどです。「偏依善導」
 とは、ひとえに善導に依るということであり、法然上人が如何に善導大師を尊重されたか
 がわかります。
 したがって当時の法然教団は、善導大師のことばを広めるために『往生礼讃偈』を主要な
 お勤めとして採用しました。 安楽と住蓮は京の都の人々の人気を集めました。今でいえば、
 人気歌手のもとに多くのファンが集まるとの同じ光景だったのだと思います。
 前回お話しましたように、お経を読むことと、学ぶことが別であるということは鎌倉時代
 も同じだったのです。お経に親しむことは非常に重要なことです。だからこそ、法然上人の
 元には、そのお経を学ぶために多くの人々が集まったのです。
 しかし、時代は思わぬ方向に事象を展開させます。当時の権力の中枢であった後鳥羽上皇の
 寵愛する女官二人が、上皇の留守の間に法然上人に帰依し出家するという出来事がありまし
 た。この出来事が上皇の逆鱗に触れ、承元の法難が起こります。安楽と住蓮は、美しい声と
 端正な風貌であるとの評判が仇となり、人心を惑わしたとして死罪になります。親鸞聖人は
 そのことを、『教行信証』の中で「罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す」と厳しく糾弾
 しています。
 浄土真宗では、蓮如上人が日常勤行として『正信念仏偈』を定め、開版されてより
 『往生礼讃偈』をお勤めする機会は少なくなっています。ただし、その節には
 『往生礼讃』と共通するところが多々残されています。
 次の法話テープの交換は12月16日です。