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はい、長念寺テレホン法話です。
  親鸞聖人にとりまして、生涯の師と仰いだ法然上人の存在は、親鸞聖人の人生そのものを
 形作っていったと言っても言い過ぎではないでしょう。『歎異抄』第2章の、聖人の法然上人
 に対する思いは、「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、
 さらに後悔すべからず候ふ」(たとえ法然聖人にだまされて、念仏をすることによって地獄に
 落ちるようなことがあったとしても後悔いたしません) とのことばに象徴されています。
 親鸞聖人は、法然上人の教えにもとづいて、結婚をし家庭を築き、生涯をかけてお念仏のみ
 教えを人々に伝え続けられました。
 そしてまた、法然上人ご自身は、書物を通して中国の善導大師を師と仰いでおられます。
 このお二人には、比叡山で長い年月修行をされ、そこでの修行に限界を感じ絶対他力のお
 念仏にであって山を降りられたことに共通点があります。その根拠にそれぞれの生涯の師と
 の出逢いが あり、仏道の上からは自力聖道門から他力浄土門の実践へと大きな転換があ
 ります。 そして、親鸞聖人のお弟子た ちにも大きな転換点があったに違いありません。
 山伏 弁念(後の 明法房)の逸話は、まさにその事実を表しています。弁念が山伏であること
 を捨 てて親鸞聖人に 帰依したということは、山伏として生きる自身のあり方に深い疑問を抱
 いて いたからに違いありません。親鸞聖人の教えに出会い、これぞ私が歩むべき道であると
 腑に 落ちた、まさに納得した
 ということなのだと思います。『御伝鈔』に、山伏弁念が聖人と会い帰依する場面が描かれて
 います。 「たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿の衣をあらためて、仏教に
 帰しつつ、つひに素懐をとげき」との表現もあながちオーバーではないのではないかと思いま
  す。 外面的には、突然の転換であるように見えますが、内面的には長い葛藤があったに
 違いありません。法然上人は、善導大師の著作を精読し、「偏に善導に依る(偏依善導)」と納
 得するまで読み込まれました。親鸞聖人は、百日間吉水の法然上人の下に通われ、自身に
 とって真の師であることを確かめられたのです。弁念にとって、都から来たえたいのしれない
 法敵である親鸞聖人でありましても、その噂に耳を傾けることにができたということは、聖人
 の教えを受け入れる機が熟していたのだと思います。
 次の法話テープの交換は、1月1日です
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人生の転換点

平成21年12月16日〜