法話集へ

平成22年1月16日〜

悩ましい思い
 はい、長念寺テレホン法話です。
 浄土真宗のみ教えに則って生きていくならば、タブー(禁忌)のようなもの
にとらわれる必要はなくなります。大安や仏滅、友引など良日吉日を気にする
必要はありません。厄年などというものも関係ありません。「門徒ものしら
ず」などと言われる筋合いはありません。道理にあわないと感じられるからし
ないだけなのですから。
 しかし、この生き方を貫くのはなかなか難しいものがあります。場合によっ
ては、社会通念と言ったらよいのでしょうか、いわゆる一般常識と対立してし
まうことがあるのです。
 最近では、私たちの考え方がいくらか浸透してきました「清め塩」の問題。
以前は「清め塩」をしないということは、必ず対立を伴ってしまう問題であり
ました。その理由を理解していただくためには、結構神経を使うことでありま
した。
 しかし、最近では逆の悩みもあります。葬儀の式場に行きますと葬儀屋さん
が、「当家は浄土真宗であるため清め塩は用いません」と掲示してあることが
あります。「清め塩」がないのはよいのですが、これでは「清め塩」が浄土真
宗のタブーであるかのような表現になってしまっています。私たちは、浄土真
宗だから「清め塩」をしないのではなく、個人をケガレモノとするような清め
の考え方は、人間としてすべきではない(道理にあわない)と考えるからしな
いのです。
 前回、最近では、ご門徒から教えに則った生活をするという前向きな姿勢
で、「浄土真宗でしてはならないことを教えてください」と問われることがよ
くあることを紹介いたしました。浄土真宗にはタブーはありませんので回答に
苦慮することになります。
 世間の常識とされているものの中にある非常識。たとえば、「友引に葬儀を
してはいけない」「火葬場の往復にあたって道を変える」ことなど、故人を魔
物扱いにしている非常識。「法事や葬儀のときの式中に行われている不必要な
挨拶」などは、本来、大切に勤めねばならない式中であるにも関わらず無神経
に繰り返される不作法です。あげれば枚挙に暇ありません。
 どれも説明するに時間がかかります。タブーとして禁じてしまえば簡単なの
かもしれませんが、それでは浄土真宗ではなくなってしまいます。あるご門徒
が、「浄土真宗のみ教えに則って生きていくのには悩ましいことが多いです
ね」と話してくださいました。「悩ましい」気持ちを共有していただけるこ
と、実に有り難いことであります。
 次の法話テープの交換は2月1日です。