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平成22年2月16日〜

内心には他力の信心
はい、長念寺テレホン法話です。今回は次男の賢五がお話をさせていただきます。
 本願寺派のお寺では、勤行の後に八代目の蓮如上人が当時の御同行に向けて記された、御文章というお手紙を拝読します。蓮如上人は本願寺の大変重要な時代を担われた方でして、「本願寺中興の祖」とも呼ばれる方です。ただ、蓮如上人が歩まれた道は大変苦難に満ちたものでした。
 現在の福井県にある吉崎御坊に蓮如上人がおられたとき、本願寺における最初の一向一揆が起こりました。当時の御同行が「念仏をすれば救われる」と戦へと進み、自ら進んで罪を重ねようとしていく中で、蓮如上人は「王法をもっておもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはへて、世間の仁義をもって本とすへし」と戒めておられます。しかし、その制止もむなしく、吉崎御坊のある越前は一向一揆へと向かっていったのです。
 私たちは、日々の生活の中で煩悩にまみれ、生きるために他の命を食すことを当たり前だと思い、感謝することを忘れ、あれが欲しい、これが欲しいと欲にも絶え間がありません。しかし、そんな私たちだからこそ救おうとしてくださるのが阿弥陀様なのです。蓮如上人は当時「王法(つまり、世間の決まり事)をおもてとし」と念仏の教えを笠に着て周囲に粗略の義を行わないようにと戒めています。今現在ではいかがでしょうか、蓮如上人が私たちをみたらどう思うのでしょうか。お念仏を申し上げるということは、阿弥陀様に、救っていただく事への感謝とともに救っていただける自分自身を見つめる良い機会であると思います。一向一揆の時の御同行のように「念仏の救い」を理由として、自ら進んで罪を重ねていくのはとても悲しいことです。しかし、現在の私たちは「念仏の救い」さえも忘れ、日々を送ってしまってはいないでしょうか。
 日々申し上げるお念仏の中で、念仏を「わたくしを照らす鏡」として、阿弥陀様の救いの対象である自分自身を見つめてみるのも良いことだと思います。
 次の法話テープの交換は、三月一日です。