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平成22年6月1日

健康が大事?
 はい、長念寺テレホン法話です。
 4月24日の神奈川組の大遠忌お待ち受け法要の翌日、夜間急患に行かざる
を得ない状態になり、そのまま入院、結果的には4月30日に手術を受け、5
月半ばに退院してまいりました。患部は取り除かれましたので、あとは回復を
期すのみということになりました。したがって、テレホン法話は、5月分2回
を長男に代行してもらうことになってしまいました。
 「健康が大事」だということは、よく聞かされていましたが、病気になって
そのことがよく分かりました。今までできていたことができないのです。それ
は入院中だけではなく、退院しても体力も集中力もありません。その歯がゆさ
はなんとも言いようのないものでありました。
 「健康が大事」ということは、健康なときには全く考えもしませんでした。
しかし、病気になってはじめて気がついたことがあります。健康であることが
大切だとは言いましても、私の意志だけではどうにもならない現実があるのだ
ということをつくづく知らされたことです。私は、健康に自信がありましたの
で、入院するような病気になるなどということはまったく考えたことがありま
せんでした。
 仏教では人生は苦であると説きます。そして、老・病・死の苦しみを私たち
は避けて通ることはできないのです。生身の体ですから、いつ病を得ても不思
議はないのです。私もそのお話を常にしてまいりました。しかし、そうは言っ
ていても現実感を伴わないので実際だったということでした。
 「健康が大事」。その通りです。しかし、それでは病はダメということにな
ってしまいます。誰もが、いつ病を得ることになるかもわからないのにです。
 でも、ここに来て、人生の諸先輩たちが「健康が大事」と言っていた意味が
わかってきました。それは「健康はありがたい」ということであります。健康
に感謝をするということと、そして、更に、老いや病や死がいつ訪れて来ても
おかしくはないのに、今健康であるということを不思議と味わうことが大切だ
ということを言っているのではないかと思うようになりました。
 病を得て、今まで考えもしなかったことを考えることができたということ
も、また尊いご縁ということができるのだと思います。いままでは与えられて
きた仕事はなんでもこなすことができましたが、ここ数ヶ月は多くの人々に迷
惑をおかけしました。病院では、お医者さんや看護師さんに大変なお世話にな
りました。また、多くの人々に心配をしていただきました。私が生きていると
いうことは、いつも迷惑をかけている人々がいる、支えていてくれる人がい
る。入院生活の中で、それを痛切に感じさせていただくことができました。
 次の法話テープの交換は6月16日です。