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平成22年6月16日〜

三河門徒
 はい、長念寺テレホン法話です。
 毎年6月に行っている長念寺の団体参拝旅行、今年は、三河へ行ってまいり
ました。病み上がりで少々不安もありましたが、楽しく充実した旅行をしてき
ました。
 ここのところ親鸞聖人のご生涯を辿ることを目的に、旅行を企画しており、
今回は、聖人が関東から京都にお帰りになる行程を学びたいと考え、聖人の面
受口決の弟子が門徒集団を形成したとの伝承を誇りとする三河門徒の地を訪問
しました。
 三河の寺院を訪ね、とくに印象に残ったのは、三河の一向一揆のことです。
私自身、歴史を一面的にしか学んでいなかったということを、あらためて知ら
されました。
 三河は家康の地元です。家康が人質の状況から開放され、国元を束ね戦国大
名としての歩みを始める中で、最初に出会った難関が、三河の一向一揆です。
家康は、一向一揆を平定し、その体験の中から、政治において真宗との距離を
考慮し、東本願寺の建立に協力したと言われています。
 その歴史の中で、門徒が、そしてお寺が、時代の荒波に翻弄されたことに、
どこまで関心が向けられていたでしょうか。
 三河一向一揆は、永禄6年(1563)、家康の領国経営強化の政策に反発した
領民による一揆です。家康の家臣である有力な国人や地侍の多くが本願寺門徒
であったため、家康は大変な苦労をします。寺を攻めると、家臣に門徒がいる
わけですから刃がどちらに向けられるかわからない状況があるからです。家康
は、翌永禄7年一向一揆平定の後、寺院を破却し僧侶を追放します。その後2
0年間、真宗は禁制されます。門徒であることが判明した家臣は、閉門蟄居な
ど処罰され、改宗をすることにより家臣としての地位を守らざるを得ませんで
した。
 しかし、三河は熱心な門徒集団の土地であり、その道場であるお寺は復活い
たします。歴史の中で大きな圧力に翻弄されながらも、信を貫き通してきた三
河門徒。親鸞聖人の面受口決の弟子の系列であるという誇りと、強い信心の姿
を、短い時間ではありましたが勉強させていただきました。
 江戸時代のはじめ、長念寺を庇護し、その護持に大きな力を尽くした徳川の
直参旗本である中根壱岐守の母堂も三河の出身です。中根家は記録によると三
河の一向一揆で閉門蟄居となった経歴を持つとのことです。ちなみに長念寺に
ある中根家の墓には、女性のみ祀られています。男性は、天台宗の寺院に墓地
があります。
 門徒としての信を貫き、歴史の中でしたたかに生き抜くために、どのような
苦労がなされてきたのか、想像して余りあります。
 次の法話テープの交換は7月1日です。