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平成22年8月1日〜

お盆と俗信
 はい、長念寺テレホン法話です。
 先日、「お盆の間は、お墓参りをしてもいいのですか」と質問されました。
唐突な問いでありましたので、その意図を尋ねますと、「お盆の間は、ご先祖
が家へ戻ってこられているからお墓は空になっているとの話を聞いた。お盆
中、久しぶりに親族が帰省して来るので一緒にお墓参りをしたいと言うのだ
が、どうしたものか」とのことでありました。
 浄土真宗ではしないのですが、お盆の習俗の中に、お盆の送り火・迎え火な
ど先祖の霊を家にお迎えしてお仏壇に精霊棚を飾る風習があります。その習俗
の中で、固く考えたのかそれとも冗談だったのかよく分からないのですが、お
迎えしたのだからお墓は空っぽという考えが出てきたようです。もともとは、
先祖祭りであるお盆を演出し、家族としてお盆を大切に思う行事として定着し
たものであり、一種まねごとの中に信仰を表現してきたということであったの
です。ですからお参りなさるなら、お盆であろうがなかろうが、お墓はお墓、
仏壇は仏壇と考えるのが当然でありましょう。
 浄土真宗では、阿弥陀さまの功徳により亡くなられたと同時に、阿弥陀さま
のお浄土に生まれ仏となり(往相回向)、今度は阿弥陀さまとご一緒にこの世
に戻り迷える人々を救うはたらきをされる(還相回向)と説きます。蓮如上人
は、「極楽はたのしむと聞きて、まゐらんと願ひのぞむ人は仏に成らず」と仰
っておられます。お浄土で、のんびりなどして居られない、人々のために働く
のが仏さまであるということです。ということは、お盆だけに帰って来られる
ということではなく、いつでもどこでもいらっしゃるのだから、お盆が終わっ
たら送り火を炊いて送り返すなどということは浄土真宗では考えられないので
す。
 私たちは、仏さまを擬人化するようなことはいたしません。親鸞聖人は、仏
さまの存在を、「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよ
ばれず、ことばもたえたり」とお示しくださっています。私たちの想像を大き
く超えたはたらきとしての仏さまです。光のごとく、空気のごとく、いつも私
に寄り添ってくださっているのだなあと味わっていくべきでありましょう。
 お盆は、私たちにとりまして、大切な仏教行事の一つであります。その習慣
を、習俗や俗信に流されることなく、浄土真宗の信心に立脚して生かしていく
ことができるように心がけていかなければならないことと思います。
 次の法話テープの交換は8月16日です。