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平成22年10月1日から

何宗でもかまわない?
 はい、長念寺テレホン法話です。
 前回のテレホン法話で、自信を持って「私は仏教徒です」と宣言できる身でありたいとお話しいたしました。生きる規範を持っていることを大切にしていただきたいとの願いからです。
 その法話テープがまだ流れている数日前のことです。見知らぬ方が突然訪ねてこられ、「近所に住むものですが、家族の誰かが亡くなったとき葬儀をしてもらえますか」と問われました。「浄土真宗の方でしたら、できないことはありませんが、お宅は何宗ですか」と聞きましたところ、「実家は曹洞宗ですが、私は何宗でもかまわない」とのことでした。
 転宗は可能かという話にもなったのですが、結果的には、浄土真宗でなければならない決意もなく、お寺が近いからというだけの理由だけでは安易に転宗を考えるべきではないとお話しいたしました。自分がよく分かっていないからなんでも良いと考えるべきではなく、分からないのであるならば、なおのこと、先祖が守ってきた宗派を大切にすべきだとお話しさせていただきました。
 この方は実家の宗派を知っていましたからまだ良い方かもしれません。
 宗派は、よりどころにする教えにもとづいて形成されています。外面的にも、読経の様子や、お寺の雰囲気などにも宗派による特徴があります。また、一つの集落でも個々の所属のお寺が異なるケースが多くあります。それは、帰依するところのみ教えがそれぞれあったことの証明であります。多くの命のつながり、そして不思議なご縁の中にある私の歴史を、そのような観点から見つめていくこともこれからの大切な作業のひとつとなるのではないでしょうか。
 そして、もう一つ、教えにもとづく宗派であるということは、「選び」も大事な課題となります。私にとって何がふさわしい教えであるかを知るということです。宗祖を知る。その教えを知る。教団の歴史を知る。お寺のあり方を知る。学びの方法はいくらでもあります。その内容は深く広いのです。学んでも学んでもそれはつきることがないかもしれません。
 その作業の中で、私にはこの宗派しかないと決断できたら転宗を考えるのも選択肢の一つでしょう。また、先祖がこの宗派を選んでくれていてよかったなあと感じられる方も多いことと思います。
 「私は何宗でもかまわない」などと安易に言ってはならないことと思います。
 次の法話テープの交換は10月16日です。