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平成22年10月16日〜

奇兵隊
 はい、長念寺テレホン法話です。
 NHKの大河ドラマ『龍馬伝』を欠かさず見ています。私自身、幕末維新は、日本の宗教においても大転換があった時期である考えています。そんなことも折り込みながら、ドラマを楽しんでいます。
 福山雅治の演ずる龍馬はともかく、伊勢谷友介の高杉晋作は格好良過ぎではないかなどとミーハー気分です。ドラマは、フィクションですから見るものを楽しませてくれれば、突拍子もない役作りであっても許されます。しかし、奇兵隊の扱いには少し首を傾げてしまいました。身分制度の厳しい江戸時代にありながら士農工商の身分を超えた自由の軍隊であった、というような美化された演出がなされていました。病床にいる高杉晋作を見舞う奇兵隊出身の人々の扱いはまさにそれでありました。
 龍馬伝は、土佐において、士族が、上士・下士の身分で厳しい差別が行われていたことに視点をあて、その歪さが時を経て意味を失っていく過程を龍馬の生涯に重ねて明快に表現している筋立てになっています。それだけに奇兵隊の取り扱いには、その落差に少々がっかりさせられてしまいました。
 奇兵隊は、その名の通り「めずらしい」普通ではない兵隊。まさに正規な兵に対する珍奇な兵隊ということです。長州藩にとって近代の戦争をするにあたり人員確保のための苦肉の策であったということです。事実、奇兵隊は、装具なしで戦地に放り出され、まさに「使い捨て兵士」であったのです。
 奇兵隊は当初、その訓練の厳しさに逃げ出すものが続出し、志願した兵の過半数が逃散し、士気を高めるため逃散した兵士の多くを見せしめに処刑したことも明らかになっています。恐怖により統率する軍隊が、いつのまにか自由平等の軍隊と美化されてきたことには、そこに何らかの政治的な意図があったことは否めないことと思います。
 明治になり徴兵制が布かれましたが、すぐに国民の納得を得ることができたわけではありません。徴兵忌避は自然のことでありましょう。血税ということばに恐れをなした混乱があり、家長制度のもと、長男が兵役を免れることがわかると各地でつぶれ屋敷を継ぐという苦肉の策で徴兵を免れるということがありました。
 維新政府は、当初、国論をまとめるために神道国教化政策を強引に進めようとしました。しかし、仏教教団をはじめとする宗教団体の反対と国民の反発により、撤退を余儀なくされています。ところが結果的には、幾度もの戦争を経ることにより国民の支持を獲得する中、世論の戦意高揚とともに、維新政府の目論見を超えて国家神道が確立していきます。
 私たちは、まだその意味を十分に分析することができていないような気がしています。
 次の法話テープの交換は11月1日です。