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平成22年12月16日〜

御伝抄
はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人の伝記を最初に著したのは、本願寺3代目の覚如上人です。『本願
寺聖人親鸞伝絵』といい、親鸞聖人の行跡を数段にまとめて記された詞書き部
分と、それに相応する図絵からなる絵巻物として成立しています。それが流布
される過程で、絵と詞書が別々になり、図絵のみのものを『御絵伝』といい、
文章のみのものを『御伝抄』と呼ぶようになりました。現在でも真宗寺院で
は、報恩講の折に、本堂余間に軸物の『御絵伝』を掛け、『御伝抄』を読み上
げる風習になっています。
 毎年、報恩講において『御伝抄』を読み上げながら、私は、この文章には覚
如上人の強い思いが込められていることを感じます。親鸞聖人をことさらに貴
いひとであると飾り立てる姿勢は、現代人にとっては受け入れにくい部分もあ
るのではないかと思われます。
 覚如上人の時代、真宗教団は、聖人の直弟子たちを中心に、教えにもとづい
て組織された複数の教団によって成り立っていました。親鸞聖人大谷廟所の留
守職であった覚如上人は、それらの教団を、廟所を中心に統合していきたいと
の強い願いを持っていました。すなわち『本願寺聖人親鸞伝絵』は、聖人の血
脈を重んじる理想にもとづいて著述し製作されたものであるのです。覚如上人
は、親鸞聖人をより美化することに心を尽くしているのです。
 その流麗な文章は読んでいて心地よく、報恩講での『御伝抄』の拝読の習慣
も、営々と受け継がれてきた大切な真宗文化であると思います。ただし、その
内容を理解しようとするときには、客観的に読むことが必要であろうかと思い
ます。吸い込まれるように物語に引き込まれてしまうのも、一つの読み方では
ありますが、一歩下がり、取り上げられているそれぞれの出来事について、現
代ではどのように理解されているかを知ることも大切です。歴史学者のよう
に、史実を追求しながら読むことまではしなくともよいとは思いますが、他の
人はどのように考えているのかを知ることも必要なことと思います。たとえ
ば、五木寛之さんは小説『親鸞』のなかで、どのように取り上げていただろう
かなどと考えながら読むのも一興だと思います。
 また、一月から始まる、五木寛之さんの『親鸞激動編』を読むときにも、
『御伝抄』ではどうだったかなと比べながら読むのも面白いと思います。
 日本の中世において、偉大な宗教家であり思想家であった親鸞聖人、その考
え方やその時代背景などについて、イメージが大きく広がっていくことと思い
ます。また親しみも深まることと思います。
 次の法話テープの交換は1月1日です。