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平成23年2月1日〜

地域の絆
 はい、長念寺テレホン法話です。
 サッカーのアジアカップは、日本が頂点に立ち、その感激と興奮が醒め遣り
ません。初戦のヨルダン戦から、ハラハラドキドキの連続。オーストラリアと
の決勝戦も夜中に起きだして見てしまいました。勝ったのはとてもうれしかっ
たのですが、テレビ観戦でありましても、本当に「疲れたなあ」というのが正
直な心境です。
 技術が秀でた者の集団でありましても、個々の技術が充分に発揮されなけれ
ば、それは烏合の衆になってしまいます。それもサッカーの代表戦のように短
期間に一つのチームにまとめなければならない上に、試合に望めば場面に応じ
た即座の判断力が求められるため、監督の技量に差配されるところが大きくな
ります。
 スポーツは勝ち抜いていくことが目標となりますから、周囲の期待も大き
く、監督の責任は重大です。だれにでもできる仕事ではありません。
 アジアカップでは、困難の連続の中、何度も精神力の集中が切れてしまいそ
うな事態に陥りながら、なんとか勝ち抜けたことはすごいことだと思いまし
た。
 そして、日本代表チームのメンバーは、試合が終われば、それぞれの個々が
所属するチームに戻っていきます。
 私たちの社会で、長い間培い、そして消えかけてしまっている、地域の
「絆」。もしかしたら、「代表チーム」のようなものであったのではなかろう
かと、ふと、そんな思いになりました。
 個々の生活基盤は家庭や職場であり、普段はすれ違いに挨拶をする程度であ
っても、ある時になるとチームで力を発揮する。その場は冠婚葬祭などの通過
儀礼をおこなう時でありました。会場づくりから、式の進行、食事の賄いから
接待まで、細かく役割が定められ一丸となって当事者となる家庭のために協力
を惜しまなかったのです。
 時代を経るに従い、各家庭において通過儀礼の多くは親族のみで行うように
なりました。結婚式は式場で行うようになり、唯一残された葬儀の場も業者に
委託する比率が増え、チームの役割が少しずつなくなりつつあります。地域の
絆で、最後に残ったのが葬儀ですが、これも薄れつつあるのが実態だと思いま
す。
 このような地域の絆は、もう以前の形に復することはできません。これから
は、もっと緩い形での「絆」が必要になることと思います。現代は孤独化や孤
立化が社会問題化しています。絆のない社会は、歪んだ社会と言えると思いま
す。日本代表チームのような強固な絆を求めるのは無理な話。緩い絆、少なく
ともお互いにつながりを意識できる場を地域ごとに構築することが、今後必要
になってきているのではないかと思います。
 次の法話テープの交換は、2月15日です。