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平成23年3月1日〜

遇いがたくしていま遇うことを得たり
 はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人は、『教行信証』の総序(序文)のいちばん最後の部分で、お念仏
のみ教えに遇うことのできた喜びを、このように表現しておられます。難しい
ことばもありますが、原文のまま読んでみましょう。

   ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の
  師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞
  くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きこと
  を知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなり。

 聖人は、インドからシルクロードの諸国を経て中国から日本に至るまで、お
念仏のみ教えを伝えてくださった、それぞれの高僧方のお説きくださった文献
や思想に、まさに「遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてす
でに聞くことを得たり」と喜んでおられるのです。
 ここで聖人は、「遇う」という字を遭遇の「遇」という文字で表現しておら
れます。また「聞く」という字は、聴聞の「聞」という文字で表現しておられ
ます。そして、「遇う」と「聞く」、それぞれのことばの前に「遇いがたくし
て」「聞きがたくして」とその不思議なご縁をさらに強調しておられます。
 親鸞聖人は、そのように不思議なご縁を痛切に感じておられたのです。煩悩
多き私にとりましては、自己に執らわれ、少しでも他人より優れていると思え
ば、すぐに慢心に陥り、如来さまの声に耳を傾けることもできない身となって
しまいます。そのような私にとって、お念仏のみ教えに遇うことができたとい
うことは、まさに偶然としか言いようがありません。お念仏のみ教えを聞けば
聞くほど、私のようなお粗末な人間をお目当てにはたらき続けてくださってい
る如来さまのご恩の、尊く深いことを、知らされるばかりであります。と
 このように、浄土真宗の教えは、親鸞聖人の感動を通して私たちに伝えてく
ださった教えです。『教行信証』の序文は、「ここをもつて聞くところを慶
び、獲るところを嘆ずるなり」で終わります。『教行信証』は、聖人が慶びの
思いを持って、聖人の会得された事柄を述べられた書物であるということであ
ります。
 親鸞聖人のそのお心に思いを馳せるとき、今、私たちが親鸞聖人から「如来
(仏)さまに遇えていますか」「如来さまのお心が聞こえていますか」と問わ
れているような気がいたします。
 次の法話テープの交換は3月16日です。