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平成23年4月16日〜

小慈小悲もなき身にて
 はい、長念寺テレホン法話です。
 4月9日よりご本山・西本願寺で親鸞聖人750回大遠忌法要が始まりまし
た。私も、14日の法要に參拜してまいりました。50年に一度の宗祖を讃仰
する大法要であります。ですから、宗門として賑々しくお勤めする計画であり
ました。しかし、直前の3月11日に勃発した東日本大震災という未曾有の大
惨事。多くの寺院・門信徒が被災しました。従いまして、震災を強く意識した
法要となりました。
 仏教では、娑婆世界であるこの世のことを「火宅」と言います。まさに永遠
であるものはなにもない危うい世界の中に私たちは住んでいるとのことです。
親鸞聖人も、『教行信証』のなかで、このことばを何度も使用しています。こ
の度の大震災は、そのことをまざまざと私たちに知らしめてくれました。福島
第1原子力発電所の事故は、私たちの安全への過信を見事に打ち砕いてくれま
した。
 親鸞聖人の時代、人々は自然災害に対して、現代とは比較にならないほど無
防備でありました。鎌倉時代、震災や飢饉が繰り返し起こります。災害に直面
し、聖人はどのようにされたのでしょうか。唯一記録に残るものは、奥さまで
ある恵信尼が残されたお手紙の中にある、聖人42歳の頃の佐貫での出来事で
す。風水害であったのでしょうか、飢饉であったのでしょうか、悲惨な人々を
目の当たりにして、三部経千部読誦を思い立たれます。しかし、4、5日でそ
れを止め、その地を去ります。聖人は恥ずかしかったのでありましょう。聖人
づらしてお経の功徳を振りかざした行為をしてしまったことが……。何とかし
なければとの思いと、自分がしている行為があまりにもちぐはぐであったこと
に気づき、愕然とされたのであります。
 聖人が晩年に著されたご和讃の中に、
  小慈小悲もなき身にて  有情利益はおもふまじ
  如来の願船いまさずは  苦海をいかでかわたるべき
との歌があります。「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ」とのこ
とばは、多くの苦悩を抱える人々と寄り添って生きてこられた親鸞聖人の深い
体験の中からにじみ出てきたことばだと思います。私たちのできることは限界
がある。しかし、突き動かされて苦しみ悩む人々のために、ともに生きてこら
れた方であるからこそ、このことばがわき出てきたのだと思います。
 教えに対しても、人生に対しても、誠実に生きられた親鸞聖人。そのことを
考えながら、法要に参列させていただきました。新しく制定さた『宗祖讃仰作
法』による音楽法要のお勤めでした。盛り上がりのある感動的なお勤めでし
た。法要は、来年の1月まで勤まります。是非多くの門信徒のみなさまに參拜
していただきたいと思います。
 次の法話テープの交換は5月1日です。