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平成23年8月16日〜

 はい、長念寺テレホン法話です。
 行方不明者も含めて2万人を超える犠牲者を出した東日本大震災。多くの行事が、簡単には埋めることのできない深い喪失感を背景に、追悼の意味をもって行われています。花火大会もしかり、夏祭もしかりです。
 京都五山の送り火。今年は複雑な思いでみている人が多いことと思われます。陸前高田の松は、二転三転した経緯の中で、結局は受け入れられませんでした。
 陸前高田の松は、東日本大震災の犠牲者追悼の象徴として宗教的意味合いの強い存在となりました。大文字をはじめとする京都五山の送り火も、単なる夏のイベントということでなく、お盆の行事として元来宗教的意味合いの強いものだと思います。その二つがどのような経緯によるものかわかりませんが結びつくことにより、その宗教的意味合いを更に深めることとなるはずだったのだと思います。
 事故を起こした福島原発から遠く離れた陸前高田、そしてもっと遥か離れた京都で、人の目に見えない放射性セシウムが、その宗教性をすべてぶち壊してくれました。風評被害という言葉で表現できる事柄なのかどうかはわかりませんが、何ともいえぬ嫌な気持ちが残る出来事でありました。
 お盆の迎え火送り火は、私たち浄土真宗の門徒はしません。還相の仏さまとして私たちのためにはたらき続けていてくださるご先祖を、お盆が終わったからといってお墓にお帰りいただくなどということはできません。
 それでも、よその宗派でなさっているお盆の習俗、「お迎えは早く、お送りはゆっくりと」など、その気持ちはよく分かります。東北地方は、禅宗王国といわれています。曹洞宗や臨済宗など禅宗系の寺院の多いところです。その宗教性を理解しないと、本当の姿は見えてこないのではないでしょうか。
 マスコミの報道などを見ていますと、宗教宗派のあり方など無視してしまい、記者の知識の範囲内の言葉に言い換えて報道しています。京都五山の送り火の問題も、見方を変えると違う意味合いが浮かんでくるのかもしれません。
 未曾有の大災害を経て、私たちは宗教性にもっと敏感にならなければいけないのではないかと思います。こころが通い合うなかに復興の活力が生れるのではないかと密かに思っています。それが、原発事故の放射能という無機質なものにより、こころまで失われてしまうとしたならば、非常に悲しいことであります。
 次の法話テープの交換は9月1日です。
放射能