平成23年9月1日〜

法話HPへ
風評被害
 はい、長念寺テレホン法話です。
 東日本大震災以後、風評被害という言葉を聞かない日はありません。福島で起きた原発事故から、まき散らされた放射能にまつわる噂は全国を駆けめぐっています。
 私たちは、震災など大きな災害のあったときに情報の不足から起こる、デマなどの間違った情報に惑わされないことが大切だと常々学んでまいりました。関東大震災の時には、「朝鮮人の暴動がある、それもすぐ近くまで来ている」とのデマが被災地の津々浦々まで流れたとのことです。私の母などは、地震そのものより、朝鮮人騒ぎの方がよほど恐ろしかったと言っていました。
 今、日本は、目に見えない放射能に怯え、種々の噂が飛び交っている状況です。情報はふんだんにあるのですが、どれが信頼できるのか分からないことがそれに拍車をかけているように思われます。五百本の薪を燃すことによって京都全体が汚染されるような騒ぎなのです。公共団体が関与していて、風評被害を助長するような判断がなされるのですから「何をか言わんや」です。
 この問題で私たちがいちばん関心を向けなければならないことは、風評によって、何も問題などがないにもかかわらず、直接に被害を受ける人々がいるという点です。
 江戸時代、薩摩藩は浄土真宗を禁止しました。戦国時代、各地で一向一揆が起こったことが弾圧の原因でありましょう。蓮如上人の時代、北陸で一向一揆が起こります。しかし、浄土真宗の教えには好戦的な面はありません。本願寺が一揆を起こしたのではありません。当時、荘園領主と守護地頭の二重支配にあえいでいた庶民が、圧政に対して立ち上がったのです。そしてたまたま改革に目覚めた人々は門徒集団が中心であり、国侍などと組んで一揆を起こしたのです。その結果、寺に逃げ込んだ一揆衆とともにお寺は在地権力と戦うことになります。その後各地で本願寺派の寺院は一向一揆の寺として織田信長をはじめとして大名などから弾圧を受けることになります。不安材料を排除するためです。
 薩摩は、一揆の起こった地からは遠く離れていましたが、島津藩は念仏を禁制とし、本願寺を排除しました。まさに風評被害です。それも明治のはじめまで三百年近くも続きます。
 健康に関わる食の安全は、誰もが意識するところです。今私たちが一番不安に思っていることは、安全の基準が揺らいでいることだと思います。不安は、根拠のない差別を生む可能性があります。関東大震災のときの根拠のない朝鮮人騒ぎに匹敵するような精神状況にならないような配慮が必要だと思います。
 次の法話テープの交換は、9月16日です。