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平成24年1月16日〜

親鸞聖人のメッセージ
 はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人が、比叡山を降り吉水の法然上人のもとに行かれる前、京都の町中
にある聖徳太子を祀る六角堂に参籠しておられます。参籠といいますと一所に
籠もりきりのイメージがありますが、親鸞聖人は毎日比叡山から六角堂に通わ
れていたとのことであります。現代に生きる私たちにとりましては、車などの
交通手段がありますが、徒歩で95日間連続で往復するということは、まさに
想像を絶するような行程です。
 当時としては90歳という大変な長命でありました聖人の生命力は、健脚に
あったのかもしれません。親鸞聖人83歳の寿像である「安城の御影」には、
猫皮の草履が描かれています。寿像とは存命中に作られた肖像のことです。藁
草履などではたちまちに履き潰してしまうようなありさまを見るに見かねたお
同行から、猫皮の草履が進呈され、それを聖人が愛用されていたのでありまし
ょう。そして、聖人はお畳に狸皮を敷きその上に座っておられます。また、熊
皮の敷物の上に座っておられる親鸞聖人の絵像、「熊皮の御影」も寿像であり
ます。聖人はこの熊皮を腰に巻いて山坂を踏破されていたのでありましょう。
 猫皮や狸皮・熊皮など、動物の皮で作られたものを描き込んでいる僧侶の絵
像は他にはありません。革製品などは、むしろ高僧らしくないものと言っても
よいのかもしれません。親鸞聖人がわざわざそれを描き込ませたということ
は、それなりの理由があってのことであると思われます。
 鎌倉時代、絵師が描く肖像画には一定のルールがあったのでしょう。その中
に、親鸞聖人はメッセージを忍ばせたのではないかと思われます。お同行が、
この肖像画を見たときに、共感を得られるものを描き込んだのでしょう。鹿杖
も猫皮の草履も狸皮や熊革の敷物も、お同行にとりまして懐かしい品物だった
に違いありません。いつも携帯し使用していたものだったのでありましょう。
 さて火桶は?
 小さな火鉢。寒い冬、草庵の中で親鸞聖人が書き物をしているとき、この火
桶で指先を温めながら作業をしておられたのでしょう。
 聖人の晩年になっても、専修念仏に対する圧力は厳しいものがありました。
お同行にも「猟師など殺生を生業とするものが、浄土往生などできるものか」
と非難が浴びせられたことでしょう。お同行たちは、これらの絵像から「私と
共にお念仏をよろこぼうではないか」との聖人のメッセージを受け止めたに違
いありません。
 次の法話テープの交換は2月1日です。