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平成24年2月1日〜

「平清盛」の時代
 はい、長念寺テレホン法話です。
 今年のNHKの大河ドラマ「平清盛」の時代は、鎌倉仏教が芽生え、大きく
花開く時期と重なります。前回の放送の中にありました、平忠盛が内昇殿を許
された年が西暦1132年。その翌年に法然上人が美作の国でお生まれになってい
ます。
 法然上人が43歳の年、余行をすてて専修念仏を称えたころは、清盛の全盛期
となります。俊寛らによる鹿ヶ谷の陰謀は、その2年後、1177年です。親鸞聖
人は、その4年前1173年にお生まれになっておられます。壇ノ浦の合戦は、親
鸞聖人12歳のころですから、9歳の時に粟田口の清蓮院で得度されていますの
で、すでに比叡山に登っておられたのでありましょうか。
 そして、親鸞聖人が吉水の法然上人のもとに行かれたのが建仁元年1201年で
すから、すでに源頼朝も没し頼家の時代になっています。
 まさに政治的にも動乱の時代であったのです。大河ドラマからどのような時
代背景が読み取れるかはわかりませんが、興味のあるところであります。
 この時代に、法然上人が専修念仏を説かれたのは、大きな意味のあることだ
と思われます。
 それまでも、念仏の教えはありました。しかし、その念仏の主流は、観想の
念仏であり、心身を滅却して心を統一し、仏身を心に思い描くという厳しい行
の一つでありました。もちろん南無阿弥陀仏と口に称える、称名も行われてい
ました。比叡山の常行三昧堂では、不断念仏の厳しい修行が行われていまし
た。しかし、口で称える称名念仏は、厳しい修行の中の、添えの行でしかあり
ませんでした。
 法然上人は、称名念仏こそが阿弥陀仏の勧める最もすぐれた行である主張
し、他の行は雑行であり弥陀の本願を信ずることができない人がする行である
と断定したのです。誰でもできるやさしい「行」の方がすぐれているとしたの
ですから、当然のことながら反発が出てきます。それは在来の仏教からだけで
はなかったのではないかと思います。一般的にも、普通のひとではできないよ
うな厳しい修行と、だれでもできる称名念仏を比べて、どちらがすぐれている
かと問われれば、厳しい修行の方を選ぶ人が多いのは当然でありましょう。
 しかし、鎌倉仏教が起こる時代背景には、それを受け入れる土壌が出来上が
っていたのではないかと思います。戦乱や天変地異の中で、翻弄される人生。
そこに生きる人間の心の弱さ危うさを、強く実感できる時代であったからこ
そ、法然上人の教えに耳を傾けることができる人々が多かったのではないかと
思います。
 次の法話テープの交換は2月16日です。