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平成24年3月1日

薄れゆく地域の絆
 はい、長念寺テレホン法話です。
 3月11日、東日本大震災から1年になります。未曾有の大災害の傷跡は大きく、1年が経ちましても復興への道のりは遅々として進んでいません。今何ができるか。何が必要なのか。常に気にかけながら継続的な支援を続けていかなければならないことと思います。
 阪神淡路大震災の時にも言われていたことですが、普段からの地域の絆が緊急時に非常に有効であり、復興に当たっても個々人の心に大きな支えになることが、このたびの震災でも説かれています。しかし、原発の問題は、その地域の絆も吹き飛ばしてしまいました。
 首都圏でも直下型の大震災が起きる可能性が高いと言われています。首都圏では、新しい住民がほとんどで絆が構築されることのない地域や、地域文化が構築されていた地域でも都市化によりその絆が生活習慣の激変で薄れてしまった地域が多くあります。地域の絆を新たに構築するために今後どのような対策が必要なのか、検討されていくことと思います。
 最近私の周辺でも、長い年月の間に培われてきた地域の習俗や習慣が、歯の抜けるように失われていくことを耳にします。地域の葬儀の習俗であった月並み念仏が継承されることなくなくなっていきます。斉の神も火を燃すことができにくいという物理的な理由で消えていきます。自然を相手の農家にとって敬神講や榛名講や御嶽講、大山講などもかろうじて残っている地域もありますが、次第に消えていくことが目に見えてます。これらは個々の家の宗教宗派にかかわらず地域の行事になっています。習俗や習慣の中には、明らかに浄土真宗とは異なるものもありますが、そのような習慣が保たれる地域に浄土真宗独自の「お寄り講」などが続いているのも事実です。地縁の度合いが薄れていくのと浄土真宗の習慣が失われていくことは、否が応でも関連していることは否定し得ない事実です。
 「遠くの親戚より近くの他人」とはよく言ったものです。しかし現代は個が孤立する時代で、周囲に迷惑をかけたくないという理屈が先に立つ時代です。裏を返せば、地域への協力することは迷惑事なのです。何を差し置いても地域の協力を重んじてきた時代は終わってしまったのでしょうか。
 講中や隣組など葬儀等で残っている地域のお付き合いは、遠い昔から受け継がれてきた生活の知恵であると思います。大切にしていかなければならない習慣だと思います。地域に、習慣を支えていく体力がなくならないうちに、意識して残す努力をしなければなくなってしまうことが目に見えています。
 次の法話テープの交換は、3月16日です。