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平成24年4月1日から

迷いの原因となる心
 はい、長念寺テレホン法話です。
 自己を見つめ続けることは、とても大切なことであります。しかし、それはとても難しいことでもあります。それは、私たち自身が、迷いの原因となる心を持っているからであるとお釈迦さまは示されています。
 その原因の第一は、私たち人間には、「欲」というどうにも自分自身では制御のしにくい心を持っているからです。たとえば、名誉欲。ひとより優れてありたい。ひとから良くみられたい。その思いは、自己を見失う原因になりやすいものであります。自己評価はあくまでも加点法で、良いとこ取り。悪いところには目をつぶりがちになります。
 二番目は、「怒り」です。たとえば、自尊心を傷つけられたとき、心は大きく揺さぶられすぐに怒りに変わってしまいます。
 三番目は、物事を正しく見極める心を持ち得ていないことです。物事を正しく見極めるには、因果の道理をわきまえ、物事の判断基準である「悟り」や「阿弥陀さま」という究極の理想を知らなければならないのに、それを知ろうともしないで自分勝手なものさしで物事を判断してしまうからです。
 この三つの心を、仏教では三毒の煩悩といいます。「貪欲」すなわちむさぼりの心、「瞋恚」すなわち怒りの心、「愚痴」すなわち愚かさ、迷いの心です。
 私たちは、これらの煩悩の内、むさぼりの心と怒りの心が自分自身の心にあるということについて比較的容易に納得することができます。しかし、愚かさについては、なかなか理解することができません。判断基準のものさしが、そもそも違ってしまっているので「愚かさ」などと言われればむしろ腹が立ってしまいます。まさにそれが愚かさそのものではあるのですが、なかなか理解することができません。
 私たちは、とても頑固な煩悩を持っていますので、容易には我が心すら見抜くことができません。そのために仏教では、種々の修行の道が編み出されてきました。座禅や回峰行などもそうです。
 親鸞聖人は、真実を知るためには仏法の聞くことが大切であると説いておられます。その中でも、私たちにとりまして、阿弥陀さまの願いの生起本末を繰り返し聞くことこそが、最も早道であると示されておられます。
 阿弥陀さまが、仏さまになるために人々の姿をどのように見られ、どのような修行をして、どのような仏さまになられたのか。物語を通して、阿弥陀さまの願いの真実に向き合うことができたとき、確かなものさしをいただくことができると示されているのです。
 腑に落ちるまで聞くことが大切だということであります。
 次の法話テープの交換は4月16日です。