平成24年6月16日から

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白河のご旧跡
 はい、長念寺テレホン法話です。
 長念寺では、毎年この時期に旅行を企画しています。昨年は、親鸞聖人750回大遠忌法要に参拝し、今年は親鸞聖人のご旧跡参拝旅行を実施しました。関東二十四輩のお寺に参拝するのは2年ぶり3回目です。今回は一日目に福島県白河まで足を延ばしました。八溝山を超えて北へ、JR東北本線白河駅に近い常瑞寺、水郡線の棚倉駅に近い蓮生寺に参拝いたしました。那須に泊まり、2日目は、結城の称名寺と親鸞聖人が最初に建てたお寺といわれている願牛寺に参拝しました。
 登戸をバスにて6時半に出発、調布インターチェンジから中央道に入り山手トンネルを抜けて東北道に、休憩をとりながら凡そ4時間たらずで白河に到着しました。常瑞寺さんは、本願寺2代目の如信上人のお寺です。2年前、如信上人のご往生の地、大子の法龍寺に参拝していましたので皆親しみを持って参拝させていただきました。
 如信上人は、本願寺の2代目の上人といいましても目立たない存在です。親鸞聖人の長男である善鸞の子息です。善鸞さまは親鸞聖人の名代で関東の地に来られたのですが、間違った教えを説き、むしろ関東のお弟子たちを混乱させてしまいました。その結果、親鸞聖人は善鸞さまを義絶しなければなりませんでした。如信上人が関東に来られたのは親鸞聖人ご往生の年の10月といわれています。ですから、大谷廟堂の留守式でいたことはありません。本願寺3代目の覚如上人が、2代目の上人に定められたのは、関東のお弟子たちにも認められる人望のある方であったからに違いありません。如信上人は、毎年親鸞上人のご命日に京都の親鸞聖人の御廟にお参りをされたとのこと。正安元年上京してご命日の法要を勤め帰途の折り病を得、翌年の1月、常瑞寺からは南に見える八溝山の南の麓、大子の法龍寺の地で66歳の生涯を閉じます。覚如上人にとりましては、親鸞聖人の生前中の姿を学ぶ師匠であり、関東のお弟子たちを束ねる、初期本願寺の経済的な支えでもあったのだと思います。
 次に訪れたのは棚倉の蓮生寺です。鎌倉幕府の御家人畠山重忠の子、重秀が親鸞聖人の門弟となり証性となったのは、小島の草庵でのことといわれています。証性は下野の国塩谷の庄に蓮生寺を建立しました。親鸞聖人二十四輩のひとりです。ですから証性は「塩谷の証性」といわれています。歴史が下り江戸時代の初めに蓮生寺は棚倉に移ります。その間どのような歴史があったのでしょうか。また蓮生寺は、神奈川組善教寺の坊守様のご実家にあたり、そのご縁で住職ご夫妻と親しくお話をさせていただきました。
 次の法話テープの交換は7月1日です。