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 はい、長念寺テレホン法話です。
 報恩講は、宗祖親鸞聖人を慕う浄土真宗の門徒にとりまして、一年を通じて最も大切な法要であります。ご本山・西本願寺では、1月16日のご命日をご満座として九日間、御正忌報恩講を勤めます。一般寺院では、それに先立ってお勤めしますので、お取り越し報恩講といいます。
 長念寺では、戦前戦中までは12月4日の晩は通夜布教といい夜通し本堂でお説教が行われていたといいます。本堂で聴聞をし、前寮や親しいお同行の家で仮眠して、5日のご満座法要に臨んだのだと聞いています。
 長念寺のご門徒は、大変広範囲にいらっしゃいます。江戸時代の記録では、門徒数は350戸とあります。その範囲は、現在とほぼ変化はありません。徳川三代将軍家光の時に寺請制度ができますが、それ以前からその範囲は変わらなかったのではないでしょうか。法事の折など、親戚やご近所の方々とお話ししていますと、徒歩以外の交通手段がない時代、周囲に数多くの寺があるにも関わらず、何故遠くの長念寺に所属したのか不思議に思われる方も多くいらっしゃいます。
 わざわざ遠くの長念寺に所属したのには理由があります。浄土真宗のお寺は、門徒の方々の道場として発展してきた歴史があるのです。本堂の造り自体が真宗様式といいまして、外陣が広くとってあって門徒の集う場所としてつくられています。寺請制度が布かれ誰もが所属のお寺を登録しなければならなくなったとき、浄土真宗の門徒にとっては、近くにお寺があったとしても所属する寺院は浄土真宗の寺でなくてはならなかったのです。
 長念寺の歴史を繙きますと、ご門徒の強い思いを感じる出来事がいくつもあります。元禄時代、徳川の旗本の庇護を離れて西本願寺に帰参するとき。それは、大きな権力より自分たち門徒の総力を選んだ決断です。そして、梵鐘を地域を挙げて鋳造する記録。寄付者名簿には多くの女性の名が寄せられています。これは、一つ一つは小さな力であってもそれが結集して大きな華を咲かせた記録です。現在の本堂を建設するための長い年月にわたる記録。資金計画、木挽きの記録、その資材を長い年月寝かせ、落慶法要まで34年と気の遠くなるような年月がかかっています。
 時代は変わりましたが、親鸞聖人750回大遠忌に全国から多くのお同行がご本山に参集しました。いつの時代でも、門徒として道場に集うその思いは変らないことを実感しました。
 本堂には、その時代時代に生きてきた人々の篤い思いが込められているのだと思います。
今年の報恩講、思い新たに大切にお勤めしたいと思います。
 次の法話テープの交換は、12月1日です。

平成24年11月15日から

報恩講