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平成24年12月15日~

ものに狂う?
 はい、長念寺テレホン法話です。
 善鸞さんからの手紙に対するお返事である親鸞聖人ご消息第28通を、もう
少し細かく目を通していきましょう。
 信願坊の周辺に「ものに狂って死ぬひとが多い」という善鸞さんの報告に対
し、親鸞聖人は、人の死の有り様をもって、人やその団体を評価することは誤
りであることを指摘します。まず、信願坊の行為によって周囲のひとが不幸な
結果を得るということは、仏教の業の考え方と異なります。
 お念仏のみ教えを人々に伝えていく上で、自ら行う行為によって、自らがそ
の結果を得る(自因自果)という原則をはずすことはできません。人が自分自
身の行為の積み重ねによって、不幸な結果を招くことがないようにお念仏のみ
教えを説いているのです。
 ところが、善鸞さんは、信願坊のことを報告する上で、その周囲の人々の死
に対して主観的な評価をして、さも信願坊のせいでそのような結果を招いたと
報告しているのです。
 さらに、親鸞聖人は、人の死の有り様によって人を評価することについても
誤りであることを指摘します。
 聖人最晩年に、2年にわたって全国的な大飢饉と疫病が流行り多くの人々が
なくなりました。そのことに触れた88歳のときのお手紙に、「臨終の善悪を
ば申さず」(第16通)と書かれています。親鸞聖人の生きられた時代は、大
地震や大火などの災害が多く、また戦乱の続いた時代でありました。人々の悲
惨な死とその周辺の人々の様子を目の当たりにして、そのような人々ほど救わ
れていかなければならないことを痛感しておられたのでありましょう。「もの
に狂う」ということばに聖人はとても敏感であったのだと思います。また、戦
場に赴き、無事に帰ってはきたけれど心を病んでしまった人がいる。そのよう
な人こそ心優しき人であることを聖人は知っていたのです。
 思うようにならない人生、生身の人間であれば、病を得るのを避けることは
非常に困難なことです。お釈迦さまが説かれているように、人間であれば老病
死という苦しみを避けて通ることはできません。親鸞聖人は、その上で、如何
に生きるべきかを追求し、お念仏のみ教えこそ、私たちにとってふさわしい教
えであり、この苦難の道を安心して生き抜く力となるものであることを示して
くださっています。
 次の法話テープの交換は1月1日です。