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平成25年1月15日~

身よりおこる病
 はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人ご消息第28通をさらに読み進めてまいりましょう。
 前々回、親鸞聖人が善鸞さんに対して、ひとの死の有り様をもって人を評価
してはならないと諭しておられることをお話しいたしました。
 そして、聖人はこのように記されています。
 「念仏するひとの死にやうも、身より病をするひとは、往生のやうを申すべ
からず。こころより病をするひとは、天魔ともなり、地獄にもおつることにて
候ふべし。こころよりおこる病と、身よりおこる病とは、かはるべければ、こ
ころよりおこりて死ぬるひとのことを、よくよく御はからひ候ふべし」
 聖人は、「こころよりおこる病」と「身よりおこる病」をくっきりと分けて
考えておられます。鎌倉時代の親鸞聖人のお言葉ですから、現代医学に引き当
てて言葉の語彙を読みとろうとしますと誤解を生じてしまうかもしれません。
あくまでもお手紙の脈絡から読み取っていきましょう。
 まず、「身よりおこる病」には、その前の文章から、善鸞さんがいうところ
の「ものに狂うて死にけんひとびと」が含まれています。生身の身体であるが
ゆえに、縁に触れれば誰もが得なければならない病のことを示しています。
「ものに狂う」というと現代では印象がよくありません。ただし、私たちの身
の回りにも、それに近いことがよく起こります。私たちは、自分が思い描く理
想の姿で一生を終えることができるでしょうか。まず、「ない」と断言しても
よいと思います。
 たとえば「老い」があります。以前にうかがったある方のお話を思い出しま
す。
 「私の母は、お寺のご法座には欠かさずお参りするひとで、家でも親鸞さま
や仏教のお話をよくしてくれました。しかし、最近では老人性痴呆のせいで、
やたらにものがなくなったなどとひとを責めるようになりいやな思いをするこ
とがしばしばあります。こんな母でも阿弥陀さまは救ってくださるのでしょう
か」
 もちろん心配ないのです。念仏者にとりましては、平生のうちに往生は定ま
っているのですから、臨終の時に理想の姿で阿弥陀さまの来迎を待たなければ
いけないというような心配はないのです。私たちは、生身の体を持っています
から、どのような病を得るかわかりません。また、我が身にどのような死が訪
れるか分かっているひとは誰もいないのです。親鸞聖人は、人間が避けて通る
ことのできない老・病・死という結果でひとの評価をするのは間違っているの
だということを断言されているのです。
 次回は、「こころよりおこる病」についてお話をさせていただきたいと思い
ます。
 次の法話テープの交換は、2月1日です。