平成25年2月1日~

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こころよりおこる病
 はい、長念寺テレホン法話です。
 親鸞聖人ご消息第28通を読み進めています。前回、親鸞聖人が、「こころ
よりおこる病」と「身よりおこる病」をくっきりと分けて考えておられること
を紹介し、「身よりおこる病」についてお話しいたしました。
 今回は、「こころよりおこる病」についてお話しいたします。
 親鸞聖人は、「こころより病をするひとは、天魔ともなり、地獄にもおつる
ことにて候ふべし」と申されておられます。「天魔ともなり、地獄にもおつる
こと」でありますから、聖人にとって「こころよりおこる病」の方がより重大
な病ということになります。
 ここで聖人が言う「こころよりおこる病」とは、現代で言うところの精神疾
患ではありません。そのような病は、前回申し上げました通り、親鸞聖人は
「ものに狂るうて死にけんひとびと」を「身よりおこる病」の範疇で語ってお
られます。
 親鸞聖人は、仏教の基本的な人間観に基づいて「こころよりおこる病」を捉
えておられるのです。仏教では、ひとが迷い苦しむ原因は、おのれ自身が持つ
ところの煩悩にあると説きます。欲望や怒りの心、そしてものごとの真実を見
通すことのできない心が、煩悩です。親鸞聖人は、私たちはよろずの煩悩に縛
られた存在であるとして、煩悩という言葉を解説して、「煩は身をわづらは
す、悩はこころをなやます」と説かれています(唯信鈔文意)。そして、その
ことに気づくことなく人生を送ってしまいますと、迷いの境涯から何時になっ
ても抜け出すことができないと説きます。「天魔ともなり、地獄にもおつるこ
と」と言うことは、迷いの境涯である地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の
六道に留まってしまうことをあらわしているのです。そのような人間の根本的
な迷いを、聖人は「こころよりおこる病」と説いておられるのです。
 前回引用したご文の最後に、「こころよりおこる病と、身よりおこる病と
は、かはるべければ、こころよりおこりて死ぬるひとのことを、よくよく御は
からひ候ふべし」とありますのは、慈信房善鸞さんに対して、生身の人間であ
れば避けて通ることのできない「老い」や「病」による死のあり様に気をとら
れるのではなく、仏法を説くのが私たちの勤めではないかと親鸞聖人は諭して
おられるのです。
 老いや病の姿をとやかく言うよりも、縁によりどのような状況に陥ったとし
ても、往生間違いないと確信できる状況を作るのが私たち念仏者の勤めである
ことを明らかにされておられるのです。
 次の法話テープの交換は2月16日です。