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平成25年3月15日から

親鸞聖人の視点
 はい、長念寺テレホン法話です。
 『親鸞聖人御消息』第28通から、私たちは、親鸞聖人が社会やひとをどのような姿勢でご覧になっておられたかを読み取ることができます。
 親鸞聖人は、常に今を生きる人に目を向けています。それは、私たち生きとし生けるものはみな、阿弥陀さまの救いのお目当てであり、同じ立場であるとの姿勢です。親鸞聖人は生涯にわたって「弟子一人ももたず」という姿勢を貫かれました。それは、誰もが阿弥陀さまの前では平等であり、同じ道を歩むものであるとの立場です。
 ですから、親鸞聖人は、善鸞さんへのお手紙でも、関東の念仏者を集団として一括りに扱うことをしていません。指導的な立場にある人が過ちを犯したとしても、それはそのひと個人の責任であり、その罪がその集団まで及ぶようなことはあり得ない。お念仏をよろこぶ人々と一緒に歩むのが、私たちの勤めであるとの姿勢を崩してはおられません。
 親鸞聖人が、関東を離れ京都に帰られたの理由の一つには、お念仏を人々とともによろこべる指導者が育ったという確信が得られたからでありましょう。
 それが善鸞さんのお手紙により、遠く離れた関東の地でその理想が揺らいでしまうような出来事が報告されました。しかし、聖人は懸命に、善鸞さんに対して、指導者の責任を追及するのではなく個々の念仏者に寄り添うことを勧めます。そして、関東のお同行にその心を思い出してもらいたいとの心を込めて、この手紙をみなで読むように伝えているのです。
 この一貫した姿勢は、聖人が経験した承元の法難の記憶から導き出されたものではないかと思います。当時、権力からの強大な圧力の前に、法然聖人の念仏集団は崩壊してしまいました。お念仏の指導者たちが、保身のためにお念仏のみ教えを読み替えていってしまい、お念仏をよろこぶ人々が見捨てられていったありさまを、まざまざと見てこられたからでありましょう。まさにお念仏に仇をなしたのは法然教団の身内の中にいた。『梵網経』に説かれている「獅子の身中の虫の獅子をくらうがごとし」とあることが現実のできごととして展開していたのです。
 その反省に立って、聖人は、阿弥陀さまの前では、みな同じ道を生きるものであることを肝に銘じ、「御同朋・御同行」と「御」という敬称をつけてひとびと接していかれたのです。そのような聖人であるからこそ、ひとびとの避けて通ることのできない「身よりおこる病」などの現実の苦しみを的確に見つめて行かれたのだと思います。
 次の法話テープの交換は4月1日です。