平成25年6月15日

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同体の慈悲
 はい、長念寺テレホン法話です。
 今年は、例年より早く梅雨入り宣言があったにもかかわらず雨が降りませんでしたが、やっと台風の影響で関東地方に恵みの雨が降りました。12日水曜日雨の中、恒例の一泊二日の団体参拝旅行に山口に出発しました。台風の進路によっては影響が出るのではと気を揉んだにもかかわらず、山口は晴天で、とても良い旅行になりました。
 最初に訪れたのは本願寺山口別院です。近代的でおしゃれなドーム方の建物に感動。私たちは築地本願寺のインド洋式の建物を見慣れていますので奇抜な発想もすぐ納得。別院の沿革のお話とご法話をいただきました。
 そして、バスは山口県を横断し金子みすゞさんの生まれ育った仙崎へ向かいました。まず最初に、みすゞさんのお墓がある遍照寺に参拝。ご住職のご法話をいただきました。
 金子みすゞさんが詩を書いたのは、ほとんど下関時代であったとのことです。しかしそこにうたわれているのは仙崎でのこと。ご住職は、仙崎の風土、すなわちみすゞさんが育った環境が、あの多くのやさしい感受性豊かなうたを生んだのだと強調されていました。とくに、幼いみすゞさんをいつも連れて歩いていたお祖母さんの影響もとても大きかったのではないかとのこと。熱心なお念仏の同行であったお祖母さん。みすゞさんは、お祖母さんに連れられていつもお寺に通っていたとのことです。お寺のこども会なども頻繁に行われていた土地柄、みすゞさんのこころにも、お寺で聞いたご法話が深く焼きついていたのです。
 長念寺では、仏教婦人会でみすゞさんの詩を歌います。やさしさ、とくに他を思いやるこころは私たちのこころをほのぼのとさせてくれます。阿弥陀さまが衆生を思いやるこころを「同体の慈悲」といいます。ほとけさまだからこそ、人の悲しみ苦しみを我がことのように理解してくださるということをみすゞさんは知っていました。自分は仏さまではないけれど、仏さまだったらどう思うだろうか。そのようなことを思いながら、「大漁」という詩も生れてきたのでありましょう。
 金子みすゞさんの晩年は、悲惨なものでありました。恵まれない結婚生活。病でにっちもさっちも行かなくなり自らいのちを絶ちます。26歳という若さでした。しかし、みすゞさんの残した詩には、悲惨さは微塵もありません。阿弥陀さまがいつでもそばにいてくださると感じていたのでありましょう。「さびしいとき」という詩には、よその人、お友だち、お母さんがでてきます。しかし、最後に「私がさびしいときに、仏さまはさびしいの」と寄り添ってくださる仏さまをうたっています。
 仙崎で金子みすゞさんに出会ってきました。
 次の法話テープの交換は7月1日です。